U薄

大学二回生です 京都に住んでいます

『きっと何者にもなれないお前たちに告げる。』

序文

今回は自分の話をしようと思います。言葉も普段より口語的に、ですますでやっていきます。だである口調でかっこつけてするにはちょっと恥ずかしい内容になりそうだからです。流行りをネタにしたりするのもやめます。そういうのあんまり面白くない気がしてきたし。だから誓ってウマ娘を揶揄したりシンエヴァのネタバレを混ぜ込んだりしません。絶対に!

ところで近頃僕の中ではモンスター烈伝 オレカバトル が熱いんですがご存知の方いませんか?2012年稼働開始のアーケードゲームでキャラの造形とかバトルシステムとかストーリーとか結構良くて僕は大好きだったし今でも結構好きなんですが残念ながら僕の周りは流行りに疎い人ばっかりでみんな全然知らないんですよね。有名なものを知らなければ変人で格好良くて個性的みたいな考え方はさっさと捨てて欲しいと思うし、なのでみんなにはさっさと西院のイオンのモーリーファンタジーに行ってオレカバトル筐体で遊んで欲しいんですが、このところどこでも課題の雨が降っていて予定を捻じ込む隙もなさそうなんですよね。無念極まりないです。ところで、オレカバトルは背景ストーリーをテーマにした漫画をあの出水ぽすかさんがコロコロ系列の雑誌で連載していたこともあったりするんですよね。出水ぽすかさん=約束のなんとかランドって思ってる人が結構多いみたいなんですけど、実際のところは出水ぽすかさんの代表作は『オレカバトル オレカモンスターズ冒険烈伝』(てんとう虫コロコロコミックス)なので覚えておいてくださいね。動きがある激しい絵と表情豊かなキャラクターが魅力の素敵な漫画でした。やっぱり背景描き込めば良いってもんじゃないんですよ。

子どもって共感能力が低い、というか共感できるだけの人生経験がないので感情移入とか苦手でプロットを追うことだけでしか創作を楽しめないじゃないですか。僕もそういう感じの小学生だったので、主人公とその仲間の苦難と活躍をじっくりハラハラ見守るタイプの漫画が好きではなくて、キャラクターが山ほどいてオムニバス的に話が次々生えてくる群像劇の方が楽しめてたんですよね。そんなわけで、ホビーものの漫画も主人公がカードの力を悪用する闇の組織と戦うみたいな漫画よりも、カードの背景ストーリーをそのまま描いてくれる漫画の方が好きになりやすかったんです。山浦総版オレカバトルより出水ぽすかオレカバトルの方が好きだったわけです。松本しげのぶデュエル・マスターズは買わなかったけど伊原しげかつ版デュエル・マスターズの単行本は持ってました。次世代ワールドホビーフェアで買ったやつです。図書カードが使えなくて焦った記憶があります。漫画ではめちゃくちゃフィーチャーされてたしやっぱりE3の主人公はテスタ・ロッサであるべきだったと思うんですけどなんで本家(カードのフレーバーテキストをなぞることで完成するストーリー)の方ではあんなに扱いが悪かったんでしょうかね。今でも結構不服です。『不屈!!熱血!! テスタ・ロッサ』、めっちゃかっこいいし超好きだったのにあっさり死んじゃうんだよな......。

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『二人の友情をまもるべく、一人の男が食い止める。その名は、テスタ・ロッサ!!』かっけー!

 

 ちなみに以上の内容は記事の本題とは全く関係がないです。『オレカバトルデュエル・マスターズのことが書きたい!!』という気持ちだけで書きました。ところで誰かデュエマしませんか?あと禁時王の凶来の予約できてる人いたらボックスちょっと分けてください。

以下、目次です。

輪るピングドラム』について

幾原邦彦監督作品。2011年放送。最近時間があって気分が乗った時に四話づつくらいまとめて見てますが、僕が好きな要素ばかりが詰め込まれていて、この先の展開が一切面白くなくても多分好きでいられちゃうんだろうなと思うくらいに気に入っています。ちょっと制作者のスケベ趣味が目に余るのだけは嫌だけど。一生下着ネタしてるペンギン要るか?

ともかく輪るピングドラムはかなり好きなアニメで、昨晩ちょうど12話までを見終わったので感想を書いちゃいたくなりました。なので感想をちょっぴりだけ書きます。ただ感想である以上、自分の話や他の作品の話を交えながらということになり、今回のブログの趣旨はそれです。自分の話にピングドラムを混ぜるという方が正しい表現かもしれないです。

ところで輪るピングドラムは今度10周年記念で映画化します。公開前に、アニメ版を一気見して備えておきませんか?

www.youtube.com

 

それではやっていきます。

「『生存戦略』しましょうか。」

せいぞーん!せんりゃくーーーーーーっ!!

---プリンセス・オブ・ザ・クリスタル

 

輪るピングドラムにおけるキーワードの一つに、『運命』という単語があります。運命の輪がぐるぐるするわけです。主要人物たちのうち、高倉冠葉と高倉晶馬は運命という言葉が嫌いで、荻野目苹果は好きだそうです。高倉陽毬はどうなんだろう?

輪るピングドラムのあらすじはこうです。高校生の冠葉と晶馬には不治の病に侵されて余命わずかな妹、陽毬がいて、きょうだい三人で水族館に行った日に陽毬は死んでしまいます。霊安室で横たわる妹の隣で兄弟が悲しみに暮れていると、陽毬がかぶっていたペンギンの帽子の目が輝きだし、突如として陽毬は起き上がります。「生存戦略!」と叫びながら。起き上がった彼女の人格はしかし全く違うもので、陽毬の身体を乗っ取った陽毬でない誰かは驚く二人にこう告げます。「妾はお前達の運命の至る所から来た。妹の命を助けたいのなら、ピングドラムを手に入れろ。」セリフや話の流れは説明しやすいように少し端折ったり組み替えたりしてますが、だいたいこんな感じです。陽毬を定められた死の運命から逃すために、二人の兄は奮闘しますが、そこにはまた別の運命が待ち構えていて......という話です。

運命という単語は、高倉兄弟の視点においてはかなり残酷な概念として使われています。「生まれながらの罪に罰を与えるシステム」であるかのような言い方さえされます。しかし、荻野目苹果の視点においてはそうではありません。彼女が携える未来が書かれた「運命日記」と、そこに記述された「M計画」は、彼女にとっての支柱であり、前に進むためのいわば希望です。彼女には複雑な事情があって、「運命」の遂行は半ば願掛けに近い目的意識と徹底した自己犠牲が伴っていますが、それでも彼女は自分が決めた方向に進むことができているし、昨日と今日を生きることができています。悲劇的な描かれ方をしてはいますが、「運命日記」の存在を、僕は少し羨ましいと思ってしまいます。生きる意味があらかじめ決められてると信じられるのってちょっと素敵じゃないですか?

 

 僕は運命という単語が結構好きです。理由は二つあって、一つはわりかし絶対的で縋れる物があるのっていいなって思うから、です。運命って言葉だけで、納得したり諦めたりできるのは結構便利だと思います。僕は一時期キリスト者になろうとしてたんですが、それもキリスト教の運命論的なところ(苦難を神が与えた試練だと読み替えたりとか、選択を神の導きだと説明したりとか)に惹かれたからでした。二つ目の理由は少し後ろ暗くて、それは何もかもを台無しにしてやれる力がある物に惹かれてしまうから、というものです。運命という単語に全部まとめて仕舞えば、努力とか才能とか、それから生まれる権威とかが、全部どうでも良くなってくれるじゃないですか。運命というか、決定論と言った方が正しいかもしれません。一人一人大切な人を大事にしたいなっていう気持ちとは別のところで、僕にはそういう風に、全ての人の尊厳とか価値とかを一緒くたに破壊してやりたい、そういうパワーのある概念を振り回してやりたいという気持ちも少しあって、これは少し後ろ暗いというか、申し訳ない感じがします。『それも運命なんだよ。』と言うだけで、人の苦難も成功もまとめて台無しにできるとすれば、そこにはちょっと抗い難い魅力があると思います。統計とかも同じ理由でちょっとだけ好きです。数字は人の尊厳を容易く破壊できるので危険だと思います。だから僕は数学ができる奴は悪い奴だと思うし嫌いです。これは大きな嘘で、数学ができるやつを見るとコンプレックスが刺激されるので嫌なだけです。知り合いにめちゃくちゃ数学ができそうな同期が居て、「こいつは数学系に行くんだろうな、嫌だな。」と思っていたんですが聞いてみたら宇物を目指しているらしくて安心しました。

運命はかなり強力な概念です。そもそも、『論理的に強力であること』が運命の定義の一つであると言っても構わないからです。運命やそれを定める神の存在を想定する時、それらは世の中にあるあらゆる枠組みを定義する以上、全ての外に置かれるわけですが、そうなると『神』を定める枠組みが存在し得ません。というわけで、神は定義不可能なのですが、『定義不可能な存在が神である』という矛盾した定義が与えられて観念上に存在しています。矛盾を包括した上で人を納得させている概念のことは、無敵と呼んでいいはずです。

神に(論理上で)抗うのは難しいと思います。しかし、運命ならもう少し余地があります。多少の余白が認められている概念のはずです。私たちが『運命』を語るとき、重要な事件の一つ一つは確定したものとして(絶対的なものとして)扱いますが、それを結ぶ道筋には『自由さ』『ランダムさ』を許しているはずです。「どんな人生を送ったとしても、君と巡り合ったはずさ。」みたいなやつです。「巡り会う」という事象は確定していて、運命によって定められているとしていますが、それ以外の人生の部分は余白としてあります。むしろその部分によって「巡り会う」という『運命』が強調されていると言ってもいいでしょう。

『運命』は道筋ではなく、「始点」と「終点」によって定められています。逆に言えば、視点から道筋をどんな風に変えても同じ結末にたどり着いてしまう、ということで、これが『運命』という概念の強さなわけです。僕はこれを、リソースの限度という概念に置換して捉えています。

『運命』という概念と同じくらいポピュラーに使われている言説として、「どんな事象でも起こる可能性自体は否定できない。」というものがあると思います。どんなと書いても、程度問題にはなります。例えば「適当にマークシートを埋めたとして、それが満点になる可能性はあるにはある。」とか、その程度の言説を僕は想定しています。世の中には無限とは言えなくても、数え切れないほどの可能性が存在します。しかし『運命』の中においてはそうではありません。『運命』によって結末Aにだけたどり着く人は、結末B、結末Cにたどり着くための可能性を最初から剥奪されています。これをリソース不足によるものだと僕は解釈しています。つまり、それぞれの『運命』は何らかの、過不足を考えられるリソースを含有していて、その大きさが人の持ちうる可能性の数に作用していて、結果的に『終点』を定めている、という考え方です。ドラえもん第一話にあるやつです。セワシくんが生まれるということは確定しています。彼が生まれないという事象を起こすには、のび太の運命のリソースが足りないのです。東京と大阪の例に則れば、例えば大災害が起こって大地に亀裂が生まれてどうやっても大阪には行けなくなってしまう......というようなことが起こるために必要なリソースが、余裕がその運命にはない、ということです。

もちろん『神』も『運命』も詭弁です。それらが矛盾を包括する以上、自分がその矛盾を許容さえしなければ、簡単に跳ね除けることができるはずです。しかし一度信じてしまえば、「そういうものがあるんじゃないか」と思ってしまえば、運命は強大な存在感を持って私たちの前に立ちはだかります。

高倉兄弟は自分たちが背負っていると思い込んでいる「罪」の存在によって、運命の存在を強く意識してしまっています。荻野目苹果は自らが納得して強い意志で行動するために、運命の存在を強調します。

彼らが自ら仮定する『運命』から逃れるためには、制限されたリソースを極大に増やす裏技が必要です。結末Ωを生み出さなくてはなりません。そのための手段は第一話から開示されていました。ピングドラムです。

ピングドラムは、それが何かはわかりませんが、しかし裏技の起動のためのツールであることは確かです。リソースを極大に増加させるための、別の神との取引のための触媒なのです。

しかし、取引である以上は対価が必要です。その対価は、もしかしたら別の誰かの人生かもしれません。もしも、その犠牲も含めてより大きな『運命』のうちだったとすれば、「誰かが失わなければいけない」ことが決定していたとすれば、それは絶望に他なりません。

運命に抗うことばかり書いていましたが、別に運命に委ねてしまうという選択肢だってあります。大きな絶望が人生にあるとしても、その絶望の隣で静かに息をしながら、ある程度の満足感を持って生活を営むことは可能です。どうせ皆いつかは死ぬんです。それまで生き続けるために、あくまで運命に逆らわずに人生をおくることは、一つの正しい『生存戦略』でしょう。

しかし、運命と一緒には生きられない場合は、運命と一緒にいては死んでしまうというのなら、その選択肢は取れません。抗う他に選択肢はありません。あるいはそのまま息絶えてしまうか。

例えば高倉冠葉です。彼に今与えられている運命は、彼には到底受け入れられるはずがないものです。妹に家族愛以外の愛情を向けてしまう彼が、「兄妹であれ」「家族であれ」「それだけであれ」と告げてくる社会と世界に対して、従順に生きていくことは果たしてできるのでしょうか。運命に決められた通りに、彼が自分の思いを秘匿して、それで呼吸をし続けたとして、果たしてそれは彼の人生なのでしょうか。生きていると言えるのでしょうか?彼にとっての『生存戦略』は、従うことではなく抗うことなのではないでしょうか?

卵の殻を破らねば、我々は生まれずに死んでゆく。(少女革命ウテナ)

私たちは、人生のさまざまなタイミングで外部からの要請を受けます。その度に選択を迫られるわけです。抗うか従うか。もちろん二分できない場合も多いですが。時間軸を大きくとれば、例えば「良い大学に入って良い企業に行く」というレールに乗るかどうか、くらいの規模の問題においては、僕たちは二種類の方向性のうち、どちらかに偏るでしょう。

私たちの人生の、『生存戦略』。 女王がいない世界で、それでもピングドラムを見つける方法はあるんでしょうか?

 

人の世界、運命は本当にあるのか?もし、人が運命を無視して、本能も遺伝子の命令も無視して、誰かを愛したとしたら。神様、そいつは本当に人なのか?---高倉冠葉

蝎の心臓

僕が今まで読んできた本を全部かき集めて家の書斎に並べるとします。その時、机から一番手が届きやすい本棚に置く本はなんだろうか、と考えると、ラインナップは結構すんなり浮かんできます。「モモ」「星の王子さま」「はてしない物語」「ローワンと魔法の森」「蜘蛛の糸」...........「銀河鉄道の夜」も、その中の一つにあるでしょう。母親が影絵の絵本を持っていて僕はよく読んでいましたが、それ以外にも色々な機会でこの作品に触れました。プラネタリウムで上映していたのを見たのが一番印象的な記憶です。僕は宮沢賢治の書く作品がかなり好きで、「銀河鉄道の夜」はその中でも一番のお気に入りです。輪るピングドラムを見るきっかけになったのも、銀河鉄道の夜をモチーフにしているという話を聞いたからです。キャラクターの名前を見てみると分かりやすいと思います。ところで、僕が二番目に好きな宮沢賢治作品は「ポラーノの広場」です。誘蛾灯って良いですよね。

この間どうしても手元に銀河鉄道の夜の文庫本が欲しくて、書店が時短営業な中、ラーメンを食いに行った帰りに無理を言って西院のTSUTAYAに向かってもらって閉店ギリギリで購入しました。それからしばらく寝かせていたんですが(これは本当に無茶苦茶で、そんなに欲しかったなら買った瞬間に読めよという話ですが、そう気持ちは単純でもなくて、部屋にあるという事実の方が読む体験より欲しかったりするのです。第一読むだけなら青空文庫でも良いので。とはいえ、無茶苦茶であるのは確かで、車を走らせてくれた彼にはかなり感謝しています。)この間ピングドラムの1クール目を見終わった後に読み返しました。何度読んでもそのたびに大好きだって思える作品があるの、無上の幸福ですよね。

銀河鉄道の夜には素敵な登場人物がどっさり出てくるのですが、特に好きなのはやはり、(もちろんジョバンニとカムパネルラを除けばですが)海に沈んだ三人組です。姉、弟、二人の家庭教師、という組み合わせです。ジョバンニ達がこの三人と交わす会話は、現代文の授業風に言えば、この物語の本質にかなり肉薄したものになっています。『アクタージュ』で星アキラが演じていたのが家庭教師の役ですから、銀河鉄道の夜をきちんと知らなくても、ジャンプを読んでる人には彼らが大体どういうことを喋っていたのかがわかると思います。僕は星アキラもこの家庭教師も大好きなのでアクタージュのあの回は超最高でした。

話を戻します。三人は日本で待つ姉弟の父親の元に向かって、客船に乗って太平洋を渡っていました。その最中客船は氷山にぶつかり、乗客は救命ボートで脱出することになります。しかしボートに乗れる人数には限りがあって、助かるためには誰かを押しのけなければいけませんでした。選択権は最も年長の家庭教師に委ねられました。

葛藤の末、彼は覚悟を決めて船が沈むのを待ち、そして三人は渦の中に取り込まれて銀河鉄道にやってきます。家庭教師がするこの語りは、後に明らかになるカムパネルラの最期を暗示させ、またジョバンニと読者の視野を世界全体にまで広げる役割を果たしますが、三人の登場によって示される物はこれだけではありません。もう一つ、重要な話があります。

姉弟の姉の方がする語りです。列車の窓から見えた蝎の火にまつわる話です。

むかしのバルドラの野原に一ぴきの蝎がいて小さな虫やなんか殺してたべて生きていたんですって。するとある日いたちに見附(つ)かって食べられそうになったんですって。さそりは一生けん命遁(に)げて遁げたけどとうとういたちに押えられそうになったわ、そのときいきなり前に井戸があってその中に落ちてしまったわ、もうどうしてもあがられないでさそりは溺れはじめたのよ。そのときさそりは斯う云ってお祈りしたというの、 

ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉(く)れてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸のために私のからだをおつかい下さい。

って云ったというの。そしたらいつか蝎はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみを照らしているのを見たって。いまでも燃えてるってお父さん仰ったわ。

これはかなり有名な話なのでそこかしこの創作で引用されていて、ピングドラムにも登場します。12話です。プリンセス・オブ・ザ・クリスタルを動かすために、陽毬を生き返らせるために冠葉が差し出した己の赤い魂のことを、クリスタルは蝎の心臓と呼びました。しかし、クリスタルはそれを受け取ることができず、陽毬は助かりませんでした。今の彼は、蝎ではなかったのです。

 

冠葉と晶馬は蝎たり得るのでしょうか。二人の心臓は妹の身体に血を流し込めるのでしょうか?もしそれができたとすれば、ピングドラムとは彼らの献身そのものだったのかもしれません。

蝎も鼬も人間も、いずれ死ぬという事実からは逃れられません。私たちを必ず待っている死は、運命よりよっぽど強力な概念です。たとえ鼬が蝎を食えたとして、あるいは蝎が上手く逃げおおせたとしても、死が少しの間遠ざかるだけです。絶対的な死を前にして、私たちが吸える息がいくらか増えようと、それは誤差です。須臾にして消える蛍光に過ぎません。風前の灯火です。

しかし、献身は夜空の星に匹敵するのです。人の幸を思う気持ちは、夜の闇を照らす永遠の炎になるのです。別の場面で、誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ』とカムパネルラは言います。それが正しいかどうかはともかく、献身は銀河鉄道の夜の重要なテーマでしょう。

蝎の心臓2

さて、冠葉と晶馬のことを考えてみます。そのために、突然ですがジョジョの話をしたいと思います。第6部のプッチ神父のセリフに、こんなものがあります。『人に対して何かしてあげるという事は......全て「見返り」を期待しての行為だ。人に親切にするのは、自分も親切にしてもらうためであり、 無償の愛というものはない。 無償の愛とは…… 天国へ行くための「見返り」だからだ。銀河鉄道の夜における献身はまさに無償の愛です。ザネリのために飛び込むカムパネルラの勇気は、サザンクロスに彼を届けました。

高倉兄弟の愛はどうでしょうか?二人は共に兄弟で、妹の陽毬ことを思っています。しかしそれは同じ気持ちではありません。似た気持ちですら無いと思います。晶馬は陽毬に口づけをしません。

冠葉は晶馬に比べてなりふり構わず、「正しくない」ことをしてでも陽毬を助けようとします。彼が陽毬に向ける愛情と、陽毬が冠葉に向ける愛情は本当はかなり違うもので、そしておそらく冠葉が本当に求めている愛情も、陽毬から『見返り』として受け取れる愛情とは違うでしょう。冠葉がそれで満足だと思っているのかはわかりませんし、だから正しい『見返り』を欲しているかどうかもわからないのですが、あるいは彼の愛情は無償かもしれません。

晶馬も陽毬を愛することに条件をつけている様子は一才ありません。1クール目の中では、彼の気持ちの根源が何なのか読み取ることができませんでした。ただ、考える余地は少しあります。家族についてです。

晶馬は冠葉とは真逆で、『家族』であることに執着があるように思えます。ちょうど苹果に指摘された通りに。その苹果ですが、彼女もまた家族という形に拘っています。

これも、「それが正しいかどうかはともかくとして」という枕詞がつきますが、ここまでのピングドラムにおいて、家族という単位は子どもにとって「本来あるべき形」として描かれています。主要人物が皆その形を失ってしまっていることが逆説的にそういう描写を作っている、と言った方が良いかもしれません。そして同時に、家族は「愛を生み出す機構」であるという前提も敷かれています。晶馬も冠葉も父親も、陽毬を助ける理由を一才語りません。家族愛は「当たり前」に存在する、一番原初の愛情なのです。

しかし、当然それは事実ではありません。DVや虐待、ネグレクトは存在します。家族愛は無尽蔵に発されるものではないし、当たり前にあるものでも無いです。しかし、それを早期に失った子どもが、家族の復活と家族愛の復活、信頼して身を委ねられる愛情の源泉の存在に期待をすることは、不自然なことでは無いと思います。

さて、晶馬や苹果が家族の復活を求めるとしても、他の「家族」員達がそれを望むとは限りません。冠葉も家族を大切にしていますが、そこにはどこか達観があるような気がします(これは気がするだけ度がかなり高いですが)。苹果の母親と父親はお互いを再び愛せるようには見えません。そして陽毬です。陽毬は家族を大切にしていますが、しかし彼女は自分のために兄達が捧げ物をすることを許すでしょうか?例えば陽毬の代わりに冠葉が死んだとして、陽毬が納得するとは思えません。

結局、家族愛もやっぱり無償ではないのです。他のあらゆる愛情と同様に、エゴイズムと混じり合って存在しているのです。無償の愛であるためには、エゴイズムからの脱却が必要です。サザンクロスの先には至るにはそれが要るのです。あるいはピングドラムを掴むためには。

もちろん、そういう幸を掴まない人生もあります。そうやって別の幸せを手に入れる方法ももしかしたらあるかもしれません。カムパネルラは死にましたが、ジョバンニは生きています。宮沢賢治はジョバンニのその後を描かないことで、希望の存在を示唆したかったのだと思います。死ぬほどの献身とは別の幸の掴み方がある可能性を示したかったのだと思います。ジョバンニはカムパネルラとその最期のことを思って、銀河鉄道の旅のことを思って、生き続けるのです。きっと彼はカムパネルラが言ったような幸を目指し続けるでしょう。その先に美しい何かがあることに、僕はどうしても期待してしまいます。

あるいは、宮沢賢治は誰かが犠牲にならなければいけない世界から脱却する未来の存在を希望していたのかもしれません。晶馬や冠葉や苹果にそういう未来があれば、それが一番良いのですが......。

色々と話を広げてしまいましたが、とりあえず輪るピングドラムのことを話すという建前に沿って結論を書きます。蝎に相応しいのは冠葉のように思えます。

しかし、冠葉が蝎になるその前には一つの大きな選択が立ちはだかります。彼が陽毬に何を求めているのか、その答えを出さなければいけないはずです。そして、その答えが彼の生存戦略と食い違ってしまえば、そこに横たわるのは終わりです。一つの感情に忠実に生きることは本当に難しいことです。カムパネルラだって、ジョバンニをからかうザネリたちを止めることはしませんでした。

冠葉と晶馬は何を選ぶのか。『きっと何者にもなれない』ままなのか、何者かになってしまうのか。2クール目が楽しみです。これを書き終わったら見れます。書き終われ!!!

 

ところで、家族を失った子どもが家族愛を取り戻す手段は他にもあります。新しい家族を作ることです。苹果のM計画はこれとは違いましたが、どのキャラクターも、新しい家族を手に入れることを選ぶことはできます。しかし、そうまでする価値が本当にあるかどうかはわかりません。

レバーの引き手

運命のベルは勝手に鳴ります。そして列車はレールの上を走り出し、約束されたゴールにたどり着きます。結末を変えるためには、レールを変えるには、連結点でレバーを引く人間が必要です。ピングドラムを手に入れる人間が必要です。

運命を変えることは奇跡と呼べるはずです。しかし、それを実行する人間は、罪を引き受けることになります。結末を変えた責任を取らなければいけません。もしかしたら変えた運命は、誰かの人生を轢き潰すかもしれないのです。

そこからボートまでのところにはまだまだ小さな子どもたちや親たちやなんか居て、とても押しのける勇気がなかったのです。それでもわたくしはどうしてもこの方たちをお助けするのが私の義務だと思いましたから前にいる子供らを押しのけようとしました。けれどもまたそんなにして助けてあげるよりはこのまま神のお前にみんなで行く方がほんとうにこの方たちの幸福だとも思いました。

これは先程言及した、家庭教師の青年の語りの一部です。このあと、こう続きます。『それからまたその神にそむく罪はわたくしひとりでしょってぜひとも助けてあげようと思いました。けれどもどうして見ているとそれができないのでした。

彼は自らが罪を背負うことを選べなかったのです。他の子どもや親を犠牲にして助かるという選択をすることができませんでした。彼が善い人であった証ではあります。しかし、善くあることと、従うこととはとても近い距離にあるのです。

運命に従わないことを選ぶには、罪を背負う意志が必要です。冠葉や晶馬が運命を変えるには、ピングドラムを他の望む者たちに与えてはいけないのです。重い覚悟が必要です。彼らが立ち向かうことになる選択は、あるいは彼らの父親がしたそれと同じかもしれません。そして再び、犠牲と運命の渦を作り出すことになってしまう。それがわかっても、決断ができるのでしょうか?

終わり

そろそろ書くのが大変になってきたのでもうやめようと思います。書き始めたときには他にもっと言いたいことがあったし、書いた内容についてももっと良い言い方があったはずなんですが、もう全然思い出せません。構成を考えてから書く癖をいい加減身につけないと卒論とかやばそうで不安です。書き直しとか絶対したくないし。せめて冠葉が踏み潰してきた愛のことには何か言いたかった......。タイトルに書いた台詞のことももっと書きたかったはずなのにどっか行っちゃったよ〜

次はもうちょっとちゃんとした記事を書きたいです。最低限章どうしはちゃんと繋ぎたい。ブログだから良いかな〜にも限度があります。

輪るピングドラム、面白いので見てください。僕はこれから2クール目を見ます。書きたいように100%書けたわけではないですが、途中まで見た時の気持ちを記録しておきたい、という一つの目的にはかなうものができたと思うので満足はしています。続きが楽しみ〜〜〜

読んでくれてありがとうございました。感想は常に募集しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



忘年

生まれてから年忘れということをできた試しがない。おかげで小三の時のアレも小五の時のアレも中一の時のも中二の時のも中三高一高二高三の時のアレコレも覚えたままで、ふとした瞬間にフラッシュバックして僕に枕を殴らせる。除夜の鐘は黒歴史を消してはくれない。布団の中で思い出と格闘する日々がこのまま一生続くと思うと憂鬱になってきた。憂鬱すぎてブログを書くしかなくなったので、僕の愉快な一年を素敵に書き綴ってみることにする。以下、そんな感じである。

 

※この部分を書いたときはまだ2020年内だった。 

一月

いよいよ何も考えずに勉強しているわけにはいかなくなってきた頃だ。センター試験を前にして、僕はいよいよどこの大学を受けるか決めなければいけなくなった。「東大を目指して勉強しておけば、志望校がきちんと定まった時、それがどこだとしても対応できる学力が身につくはず」という詭弁で親と教師を説得して決断を遅らせながら東大志望の顔をしていたのが受験生の頃の僕だった。もちろん純粋に東大に行きたいという気持ちもあったのだが、高二の春から足かけ二年間の受験勉強をやり切るにはモチベーション不足というのが正直なところだった。そんなわけでやる気が尽きて月の前半は駄目だった。本当に僕は東京大学を受けるのか?マジで?でも漢文もリスニングも結局全く勉強してないし、センター試験もやる気しないし、受かる気全然しないんだけど......みたいなことをずっと考えて勉強に身が入らない日々だった。親に「結局どこ行くの?」と聞かれて「京都で暮らしてもいい?」と聞き返した最終志望調査直前の夜までそれが続いた。親が好きにしろと言ってくれたので、京大を受けることになった。志望を変えたはっきりとした理由は覚えていないが、多分四畳半神話体系を読んだからだと思う。高校生の僕が「京都」「京大」という単語に過剰な幻想/期待を投影していたのは確かである。戯言シリーズも大好きだったし。ともあれセンター試験も間近に迫り、志望校もはっきり定まって、ついに受験勉強の総仕上げの時期だという自覚が出てきた。試験二週間前からは全教科の過去問を解き始めた。答え合わせの片手間にシャニマスのリセマラをしたりしていたが、それ以外では結構本気で頑張っていた。休憩と言って流行っていたCODモバイルをインストールして遊んでいたが、本気だったのは間違いなかった。

 

 

受験当日は何度も荷物の確認をしたので受験票も筆入れも忘れなかった。ヘッドフォンで『Ready!!』を聴きながら乗った東京メトロの車両は高校生だらけで、駅に着くごとにさらにどんどん増えた。そのほぼ全員が一限の公民対策と思われる、需要供給曲線が描かれたプリントを見ていた。とにかく現実感がなくて、模試にでも向かっているような気分だったのを覚えている。駅で同級生を待つ間に、道が分からなくて駅員と揉めているお爺さんが居たので助けてあげた。PASMOの使い方がわからないよくいるタイプのお爺さんだった。僕の大学受験とか何の関係もなく世の中は動いているんだなと思った。

 

READY!! (M@STER VERSION)

READY!! (M@STER VERSION)

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徳を積んだおかげか成績は結構良かった。二日目が終わった後、帰る電車の中で自己採点をしてZ会から送られてきた点数調査にデータを放り込んだ。返ってきた調査結果の『第一志望 京都大学理学部 C判定』の表示はめちゃくちゃ嬉しかった。それまで僕は受けた東大模試の全てでE判定だけを取ってきていたので、二次試験の一ヶ月も前に出たCの文字はそれはもう嬉しかった。嬉しかったのでめちゃくちゃに勉強した。成果として、溜めていた四ヶ月分のZ会をセンター後の一週間で処理して塾の窓口で一気に出した。70枚近い解答用紙を、受け取り間違いのないように何度も数えるチューターさんが気の毒だった。そうして1月が終わった。

 

 

ところで、僕が東大を志望していた一番の理由は進振り制度だったのだが、京大に出願するにあたっては理学部を書いた。当時の僕は総合人間学部の存在を知らなかったのだ。当然後悔することになった。馬鹿野郎。

 

二月

月の大部分を「僕は勝てる」という気分で過ごした。通信教材を全部出し切ったことが大きかった。気分が良かったので塾の直前講習のキツめのスケジュールも調子良くこなせた。とはいえやっぱり馬鹿だったので、間違えて文系の教室でテストを受けたりした。塾の先生に疲労でおかしくなっているのではないかと心配されたが一笑に付した。

ちなみに実際におかしくはなっていた。月の前半はセンター後の勢いで誤魔化されていたが、二週間目が終わる頃には精神にガタがきてしばらく動けなくなった。大学に受かれない気しかしなかったし、落ちたら人生が終わるようにしか思えなかった。お気楽に受験勉強をやってきた身には初めての鬱は結構こたえた。ベッドに上半身だけを置いてずっとスマホでなろう小説を読んでいた。ネット小説文化を馬鹿にすることで自我を保ち高校三年間を生きてきたオタクにとっては自傷行為に近い行いだった。

とはいえ結局根がお気楽だったので二日で立ち直った。併願の早稲田の受験日が迫っていたので過去問を三年分解いた。出来は微妙だったが特に根拠もなく余裕モードだった。当日は「他の奴らは受験料を納めに来ているだけだが、僕は受かりに来てるんだよな」みたいな何番煎じかもわからない文章をツイッターに書いて5いいねくらい貰った。受験生がやる中でもかなり痛い方のツイートを臆面もなくできるくらいには余裕があった。実際の試験はかなり焦ってしまい思い通りにいかず、英語を捨てて全振りした理科も数学も奮わなかった。しかも、時間をかけた数学の大問5に大きな出題ミスがあったことが発覚し、全員に点が配られることになってしまった。ミスの内容は注意深くグラフを書けば看破できるようなものだったので気づかなかった自分が悪かったのだが、精神の安定のために早稲田大学の悪口を家で言いまくった。親は微妙な表情をしていた。早稲田卒だったから。

それから京大の二次試験日までは過去問を解いた。時間は少なかったが、どうにか五年分くらい解いた。結構出来が良かったのでやっぱり「僕は勝てる」と思えていた。二次試験前日の2/24に京都入りしてツイッターに「現着!」と書いて京都駅の写真を上げた。夜は無理のないように数学の過去問だけ解いて後はちょうど行われていたFrostbite 2020の試合動画を見ていた。MKLEOがルーザーズランの末当然のように優勝していた。


Frostbite 2020 SSBU Winners Top 96 - MkLeo (Joker) Vs. Armada | Prodigy (Mario) Smash Ultimate


Frostbite 2020 SSBU Losers Semis - SG8 | Tea (Pac-Man) Vs. MkLeo (Joker) Smash Ultimate Singles


Frostbite 2020 SSBU Losers Top 8 - GW | Zackray (ROB) Vs MkLeo (Joker) Smash Ultimate Singles

Frostbite 2020はスマブラSP史上最も荒れたトーナメントなのではないかという話がある。PGR1位がTOP96で敗者側落ちしたり、日本の最上位勢が次々と同じソニックに轢かれて敗者側で同郷殺しをさせられたりしていた。

僕の受験も大荒れだった。自身に溢れ、4完は堅いと思っていた数学で0完をやってしまって最悪だった。挽回が懸かった二日目最後の科目の理科もおしまいだった。慌てすぎて試験終了を30分前倒しで思い込み次々と大問を切った。結果化学は有機以外白紙になった。メインウェポンであったはずの物理の記述が全然書けなかった。無力感に泣きそうになりながらどうにか頭を動かして時間終わりまで解答を続けた。試験室を出てスマホを見ると早稲田の合格発表時間が過ぎていて、見ると不合格だった。しばらく虚無感に包まれて何も考えられない時間が続いた後、泣いた。京都駅に向かうバスの中だった。周りは同じような受験生ばかりだったが、泣いているのは僕だけだった。

父親と合流して駅ビルでラーメンを食べ(味が薄くて全然美味しくなかった)、新幹線に乗って家に帰った。二月の記憶はこれ以降ない。

 

三月

勢いで大量に書き過ぎてしまったのでこれ以降は文量を抑えようと思う。

最初の1週間は後期の北大に向けて勉強をする必要があったが、当然やる気は全くわかなかった。勉強すると言って友人と一緒にスタバやサイゼに行きスマホを弄りながら喋るだけの日が何日か続いたが、3日だか4日だかに北大の入試が新型コロナの影響で中止になることが決定してしまい、完全にやることがなくなった。サイゼでその知らせを見たとき、北大が第一志望だった友人は目の前で青い顔をしていた。一方僕はどうしようもなさすぎて笑っていた。そのあとしばらくテンションが高かったので親に心配された。同情もされた。同情されすぎてSwitchを買ってもらえたので、スプラトゥーン2スマブラをやり始めた。合格発表の時の事はよく覚えていないが、嬉しかったのは確かだと思う。

卒業式と卒業旅行は楽しかった。最後だしちゃんと歌おうと思って校歌をコソ練していたのだが、感染対策とか言って斉唱が中止になってしまって残念だった。卒業旅行では、友人7人くらいで野沢温泉に行ってスキーをした。ただただ楽しかったので書くことがない。

京都に行くとき、東京駅に友人達が見送りに来てくれた。別れ際の「大学ではね、ちゃんと成績とってしっかりと学生をやっていこうと思うよ。」という僕の発言を信じてくれた奴はいなかった。

 

四月

京都大学に入学したが、入学式はなく、授業も始まらなかった。なのでただ寮に住んでいる人をやっていた。新入寮生はまだ京都に来たてですることがあまりない人が多かったので、たまり部屋でお互い一緒に居る時間が多かった。食費節約のために毎日鍋を食べていた。徹夜をして明け方にラーメンを食べにいくとか、暗い部屋でホラー映画を見るとか、ボードゲームをしながら倫理や道徳の話をするとか、そういうことがいちいち新鮮でやたら楽しかった。

寮にスマブラができる奴が何人かいて、彼らと対戦していくうちにすっかりこのゲームにハマってしまったのもこの時期だ。特にこいつには勝てない!という奴が一人いて、彼に勝つことが四月からしばらくの間ぼくの目標だった。

ところで、人生において僕が好きなゲームを好きなだけする時間と、金と、何よりゲーム機を持てたのはこの春が初めてだった。なので好きなゲームを好きなだけすることにした。4月はUNDERTALEとペルソナ5Rをプレイした。どちらもかなり面白かった。ストーリーや演出の妙、やり込み要素やバトルシステムの楽しさもさることながら、BGMが本当に素晴らしかった。ゲーム音楽、いいな〜〜〜と思い始めたのはこの二作がきっかけだったと思う。

Rivers In the Desert

Rivers In the Desert

  • provided courtesy of iTunes
Death By Glamour

Death By Glamour

  • provided courtesy of iTunes

二作品ともサントラがApple Musicにあって助かった。ロイヤルのサントラは別で欲しいから単体で再販して欲しい。 

 

五月

生活が安定してきて、真新しいことも少なくなってきた。大体やっていたことは四月と同じだ。ラヴェンツァ相手に苦戦して一生Rivers In the Desertを聴いていた。スマブラはだんだん上達してきたがまだ全然勝てなかった。寮の人に色々な麺屋に連れて行ってもらった。鶏谷も藍も美味かった。百万遍にその頃できたびし屋系列のカフェの鶏白湯つけ麺もなかなかだった。

あとはめっちゃカルボナーラを作っていた。三日に一回は作っていた。食べたかったから。

初回はネットのレシピに従った結果めちゃくちゃ味が薄くてしゃばしゃばしたソースを生成してしまった(実際のところ、レシピに従ったのは半分までで、それ以降は見るのが面倒で適当にかき混ぜて火を通した)ので、次はそれを見ていた料理上手に教わった、味をまとめる方法を意識して挑戦した。そうして完成した二回目は塩味が強すぎて食べられたものではなかった。今回も、もらった助言で指定された量の三倍くらい塩を入れた結果(「もっと入れた方が味がはっきりするっしょ!」)なので指示を守らなかった僕が悪かった。致死量に近い塩分を含んだ産業廃棄物を作り上げてしまったことでいい加減レシピを守ることを覚えたので、それ以降はきちんと手順通りに作るようになった。結果として、失敗はしたしお金もかかった(ソース用の生クリームが高いのだ)が、安定してそれなりに美味しいカルボナーラを作れるようになったので、中々いい勉強になったと思う。

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一回目(牛乳を目分量で入れたので多すぎた。白い)

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二回目(色はカルボナーラに近いたが、中身はほぼNaCl)

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三回目(胡椒をかけることを覚えた)

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五回目(かなりいい感じだ!)


六月

カツオを食いにいくぞ!と深夜に言われたので車に乗ったらそのまま高知に連れて行かれた。高知は海も山もあってとても良かった。『少女が見た日本の原風景』みたいな場所だった。

旅行の思い出は切り売りすると色褪せてしまうので、ここでは写真を上げておくに留める。良い一泊二日だった。

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SAから見た朝の明石海峡大橋

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鰹のたたきの実演販売。下で燃えてる藁の束が鰹に麦の香ばしい匂いを染み込ませる。

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高知の名物料理:屋台餃子。小さくて食べやすい。皮の焼き方は固めでスナック感覚

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淡路島SAの展望台から見た景色。ここにはなんでもあるような気がしてくる。

一個目のサークルに入会したのもこの時期である。入った理由は深夜の勢いなのだけど(夜に考え事をしていたら「ここでサークルに入らなかったら一生どこも入らないんじゃないか?」という思考に突然支配されてしまいDMに凸った)、新歓には参加していたし、サークル内の雰囲気も良かったので結果オーライだった。とりあえずDTMをやるためにLogic Pro Xのトライアルを始めたが、起動方法からトラック生成の仕方まで、とにかく操作を覚えるのに時間がかかった。一ヶ月くらいはかかったと思う。音楽理論に至っては、「コードって何?」「ベースって何?」からだったので導入にそうとう時間がかかった。月末にどうにか1分半くらいの尺の曲を作ることができて、とても嬉しかったのを覚えている。

同時期にスマブラも変化があった。寮内だけで戦っていても拉致が開かないと思い、KUSC(京大スマブラ会)のオンライン新歓に参加したのが契機だった。自分や寮内のプレイヤーより遙かに強い使い手と戦って刺激を受けたうえ、「君くらいの実力なら、とりあえず色んな相手と戦って経験を積むべき」というアドバイスと共に、京都下鴨で開催されているオフライン対戦会「すまみやこ」の存在を教えてもらったのだ。その二日後に僕はその「すまみやこ」に初参加し、宅オフという場所、強豪プレイヤーの数々、まだ見ぬテクニックやキャラの数々に衝撃を受けた。同時に目の前に上位プレイヤーになるための道が突然用意されたようにも感じ、急激に高まったスマブラへのモチベーションと共に、以後僕はすまみやこに通い詰めるようになる。行くたびに容赦無くボコボコにされたが、そのおかげで自分の悪い部分が段々と矯正されていった。

lyc.hatenablog.com

月末にはポケモンシールドを買った。僕はポケモンをやるのは初めてだったので(そもそもプレイするゲーム機を持ってなかった)「どうせ流行りもののお子さま向けコンテンツだろ?まあ教養と思ってやるけどさ......」みたいな態度だったが、当然のようにハマって三日間ずっとガラル地方を駆け回っていた。ポケモンリーグでのホップ戦で泣いた。まどろみの森でのラストバトルも泣いた。

ゼノブレイドDEもやった。面白かった。メリアの年齢が88歳であることを知ったとき異常に興奮したのを覚えている。

この頃から授業には出なくなった。

 

七月

六月から地続きで同じようなことをやっていた。他には、酒が飲めないのに飲み会に連れてかれて居酒屋で牛乳をたらふく飲んだり、初めての麻雀で誘ってきた先輩に16000点持ってかれて(「それロン!」)麻雀アンチと化したり、黛冬優子のG.R.A.D.編を読んで限界オタクになったりした。

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なんだこの女!!!!!!!!!!????????
(引用:アイドルマスター シャイニーカラーズ)

 

加えて7/11にはSHOW ROOMで星井美希のライブがあった。もう凄かった。とんでもない衝撃が脳から爪先までを貫いて僕はしばらく自室に縫い止められた。星井美希は生きていた。彼女は確かに僕らと同じ世界にいて同じ地面の上でステップを踏み同じ空気を震わせて歌を響かせ同じ時間軸に暮らしているんだ!!!!!!!!

なんてこった!!!!

みたいな気持ちだった。詳しくは過去ツイートを参照。

 

あとはオリガミキングを買って遊んだり、シールドのランクバトルに参加するために厳選を始めたりした。あとはアイドルマスターシリーズ15周年記念で数日おきに公開されていたアニマスを見返していた。最終日にはムビマスも公開された。初見だったのでむちゃくちゃ楽しみにしていた。部屋の電気を消して布団にくるまりながら見た。

めっちゃ良かった............

天海春香というアイドルの強さを見せつけられてどうしようもなくなった。所々にちらつく星井美希天海春香の間の信頼関係はあの二人でしか作られないものという感触があって最高だった。加えて元々ミリからアイマスに入ったので、お馴染みのミリオンスターズの登場に単純に心が踊った。春香に憧れてアイドルを志した矢吹可奈の存在によって、天海春香TVシリーズを通じて確かになりたかったアイドルになって自分が受け取った声を別の誰かに届けることができたということが明示されたのが本当に嬉しかった。矢吹可奈が河原で呟くのが自分REST@RTなのも最高のリフレインだった。そして最後のM@STERPIECE、もう最高だった。映画館で見たかったナア〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。

すまみやこにはだいたい週一で通っていた。相変わらずボコボコにされる日々だったが、手癖が修正されてきて、試合内容は以前より良くなった。 

八月

あまり激しいことが起こらなかった月だった。アジェンダ283のコミュを読んで再び限界オタクと化したり、注文したM@STER ARTIST 4が届いてNew Me, Continuedを聴いて死んだりした。FE風花雪月を買い、青獅子と黒鷲をプレイした。とても良いゲームだったのでいろんな人に布教したが、プレイ時間の長さがネックになってあまり良い反応をもらえなかった。内装を見て試しに入ってみた焼きそば屋が美味しくなくて落ち込んだり、丸二の素麺定食をもりもり食べて元気になったりした。

月末に自室でメイクが流行り始め、同居人が通販で買った化粧道具をいじって睫毛を伸ばしたり頬を白くしたりして楽しんだ。この頃から自室がたまり部屋になり人が集まり始めた。

すまみやこに行く頻度は週二になった。KUSCに正式入会し、定期活動に参加し始めた。以前より試合が見えるようになったという実感があったらしく、ルフレと別に使うサブキャラを探し始めた。クロム、フォックス、サムス、ピットなどなど色々試したが芳しくなかった。簡単さと強さを兼ね備えたパルテナが正解なことはだいたいわかっていたのだが、パルテナを選ぶのはシャクだったので考えないことにした。

 

前期の成績が開示された。取得単位数は2。

 

九月

八月と同様に楽しい夏休みを過ごしていた。月初に丸二が閉店し周囲が嘆き悲しんでいたが、僕はことの重大さをあまり理解していなかったので普通に暮らしていた。花火をしたり裁判を傍聴したり帰省して高校同期と遊んだりした。出身高校にお邪魔して寮監さんや教師の人たちに現状を話して安心されたり呆れられたりした。月末には天橋立にもいった。魚料理がめちゃくちゃ美味かった。海の水がアホみたいに透明で空が写りまくっていた。

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パノラマ撮影した京丹後の海。綺麗すぎ〜〜〜?

自室がたまり部屋として定着し、一人でいる夜が無かった。自室でたまにアニメや映画の観賞会が行われるようになった。前々から気になっていた少女革命ウテナもみんなで見始めた。

友人に勧められた「A子さんの恋人」が面白かったので、他に勧められた漫画も読むようになった。読むたびに友人に感想を返すようにしていたら、僕の部屋に次々と新しい漫画が友人たちの手によって勝手に置かれるようになったので、読むものに困らなくなった。彼女らが勧めてくる漫画は僕が人生で読んでこなかったジャンルのものが多かったので、新しいものを色々と楽しめて非常に助かった。

月末の作曲者宛てクイズに曲を提出した。出来は拙かったが、3分ちょっとくらいのフル尺の曲を初めて完成させられたのが嬉しかった。それで少し満足してしまったところがあり、しばらくスマブラに意識を多く割くようになった。スマブラは上達したがこれ以降DTMに触れる頻度が極端に減ってしまったので、ここは少し反省している。

すまみやこに行く頻度は週三、四になった。また、ゼルダの伝説BOTWをプレイした(めちゃくちゃ楽しかった!!)影響でリンクを使ってみたところ気に入った。以降、ルフレリンクのダブルメインだと自己紹介するようになった。

 

成績表が返ってきた。GPAは0.02。

 

十月

新学期が始まるので決意を新たにした。スマブラDLCMINECRAFTが参加することが発表されて大笑いした。

部屋のみんなで追いかけていた「A子さんの恋人」が完結したので、完結記念パーティーが行われた。僕は部屋を提供しただけだが、友人は美味しいロールキャベツやマッツァボールを作って用意してくれた。ずいぶん楽しかったので、たまにはパーティーも悪くないなと思った。寒くなってきたので、エアコンのある僕の部屋は重宝された。

相変わらずすまみやこに通いつめ、KUSCの定期活動にも参加していた。割と強くなってきたかな〜〜と思い始めた10月なかばに、KUSC所属のベテランプレイヤーであるチャートやつさんの家に招待され、以降も通わせてもらえるようになった。先輩に実力を認められたような気分になって嬉しかったが、いざ通ってみるとボコボコにされ続け、”わからされ”た。チャートさんはよく助言をくれて、どれも的確な上にその内容が単なるテクニック面から試合への向き合い方のような精神論まで幅広く、とても助かった。経験を積んだ先輩が身近にいることほどありがたいことはない。

 

スマブラモチベが急激に高まり、すまみやこで知り合った人を招待してたまに自分の部屋で対戦会をやるようになった。

 

十一月

 

本格的に寒くなってきたので、チーズフォンデュとか鍋とかが僕の部屋で行われた。布教の甲斐あってチェンソーマンが周囲で流行りだした。部屋の上映会で見た平成たぬき合戦ぽんぽこがめちゃくちゃ良い映画で嬉しかった。寮で起こったことはそれくらいだ。

とにかくスマブラばかりしていたので、部屋にいる時間が短かった。二日に一回くらいの頻度でチャート宅にいた。メンバーはほとんど固定だったので負け続けても気易かったが、たまにチャートさんが呼んだ初対面のめちゃくちゃ強い人にボコボコにされて気分が落ち込む日もあった。スマブラの後は毎回別々のラーメン屋に連れて行ってもらった。一乗寺のラーメンはどれも個性的でおいしい。重厚軍団と聖が特にお気に入りだ。

単調な毎日だったが楽しかった。努力はしてるうちは何も考えなくていいので楽で良い。

月の後半は大吉投票のために曲を聴きまくった。あれだけ告知されておきながら結局投票は締め切りギリギリだった。良い曲しかなかったので本当に困った。

月末に第二回スマバトライト級の開催が発表された。なんとなく忌避感があったので出るつもりはなかったのだけど、先輩二人に「出ないとか無いから」みたいなことを強めに言われて結局参加申請をしてしまった。

 

十二月

スマバトライトの参加申請が通ってしまったので頑張るしかなくなってしまった。開催は12月13日。それに向けて、月初から二週間はほとんどスマブラのことだけを考えていた。

スマバトライト級はその名の通り、本家スマバトでの成績を基準に参加制限を設けた大会で、出れるのはスマバトの予選を通過できないくらいのレベルの人だけだ。僕はまだスマバトに出場したことがないので参加権があった。先輩の見立てだと僕は参加者のうちちょうど中位くらいのレベルとのことで、つまりは実力を試せる良い機会なのだった。

実力を試せる機会ということは、勝てたら自分は強く、負けたら自分は弱いということなのだ。すべて自分の責任になってしまうのだ。それが怖くて堪らなくて、開催前の一週間は大会無くなってくれ〜〜〜と口癖のように言っていた。実際コロナ第三波の影響で無くなりそうな雰囲気が一瞬でたが、予定通り開催されてしまった。

結果はbest24、64人中17位というものだった。今でこそ結構健闘したんじゃないかと思えるが、当日ははちゃめちゃに悔しかった。もっと勝ちたかった、もっと上に行きたかったと強く思った。次のライト級が2月に開催することが会場で発表され、絶対に参加しようと思った。

悔しさと同時に微妙な燃え尽きた感があって、一週間くらいスマブラのモチベーションが無かった。なので寮にずっといて、たまり部屋のコタツに入ってボードゲームをしたり友達が作ったご飯を食べたりして過ごした。すぐにやる気が戻ってきたのでスマブラは再開したが、生活の軸は寮に戻った。ラーメン屋とゲーム機とコタツを巡るだけの日々は生の実感を与えてくれる。生きていること、暮らしていられることに感謝しながら年明けを待った。

 

所感

なかなか良い一年だったように思う。思いつきに逆らわないこと、提案に軽率に乗ることを意識していた結果ずいぶんととっ散らかった大学生活になったが、新鮮なことが多くて楽しかった。勉強はもうちょっとしてもよかった気はするが、その辺は来年以降に補完していこうと思う。

最近の生活の雰囲気的に、2021はもう少し生産性が高い日々を送ることになりそうで、2020のような適当な時間の使い方をすることは難しくなるかもしれない。そう考えると去年が貴重なものに思えてくる。その方が嬉しいのでそう考えておくことにする。

忙しい日々にあっても、合間合間に無駄で楽しいだけの時間を挟んで、人生を風通しよく爽やかに作っていきたいと思う。そこそこに成長を望みつつ、ほどほどに堕落を愛していきたいと思う。そんな感じで、今年もよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

近頃読んだ漫画/見た映画/見たアニメ/聴いた音楽について

2020年があっという間に僕の横を通り過ぎてしまった。気づいたらもう12月である。大学受験本番を迎えた1月~3月、大学生活/寮生活/サークル活動が一気に始まって大忙しだった4月~6月、スマブラのオフ対戦に打ち込み始めた7月~9月、友人達と交流を深めた10月~12月と、かなり密度の高い一年だったはずなのに、実感としては昨日入学式を迎えたばかりのような気分だ。去年の年末も同じようなことを思った。きっと来年も同じだろう。年末はそういう時期なのだ。後回し、先延ばしにしてきたあれこれに「もう後がないぞ」と現実を突きつけられ、否応なく無駄にした時間に目を向けなければいけなくなるのだ。もっと良い一年の過ごし方があった気はかなりしてくる。来年は今年よりマシな一年にしてみたいとか思っちゃったりする。この一年を共に過ごしてくれた人達に感謝とか述べてみようという気分にもなってくる。まさに12月である。

 

以上の文章は全て適当で、本文とは何の関係もない。ブログの始め方がわからなかったので困ってこんなことを書いた。第一嘘も結構混じっている。4月~6月は大忙しだったとか書いているが、実際の僕は大学をサボりまくって寮でだらだらゲームをしていただけだったのでとてものんびりまったりだった。サークルも結構ゆるかった。友人達と交流も別に深めていない。せいぜいサークルの先輩と一緒にスマブラをしていたくらいである。大学には遥か昔に入学したような気分がしている。もっと良い一年とか思いつかない。どうせ僕はこういうほどよくだらけた生活しか送れない。

しかしだらけた生活にも彩りは必要である。そのために漫画/映画/アニメ/音楽がある。加えて創作活動などをしてみると、人生はかなり豊かに華やかになるらしい。なのでブログを書いてみようと思ったのである。人生は華やかであるほど良い。※諸説がある

 

 

パプリカ

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0155NUPB0/ref=atv_dp_share_cu_r

かなり有名な作品だと思う。少なくとも僕は何度も名前を聞いたことがあった。今敏監督、マッドハウス制作のアニメ映画である。精神治療の為に開発された人の夢に入れる装置「DCミニ」が盗まれ、その悪用によって起こる諸々の事件と、それを解決する為に活躍する夢探偵パプリカ、及びパプリカの周囲の人間関係にまつわる物語である。奇抜で不可解、ともすればコメディ作品のようにも見えるポップな夢の姿の裏に、じっとりとした確かな恐怖を感じさせるアニメーションの演出がとても印象的だった。また、各キャラクター達はDCミニの力で夢と現実を行き来するのだが、その境目の演出も見事で、今いる場所が夢なのか現実なのか視聴者側もわからなくなってくる。アニメ映画でしか描けない混沌が1時間30分にぎっちり詰まった良作だった。

Fight Club

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B07GQ6RBP2/ref=atv_dp_share_cu_r

 これも有名な作品らしい。公開は1999年だが、全く古さを感じなかった。真面目で勤勉、よく働きよく稼ぎ、物を買っては捨てられない、部屋をブランド家具で埋め尽くす「北欧家具の奴隷」である「僕」の根底にある厭世観が滲み出る一人語りに、巧みなカメラワークが追従する。ある日をきっかけに破壊され作り直される「僕」の生活の様子と、それに伴って変わっていく彼の言葉遣い、性格、服装、人間関係全てに焦点が向けられている。「僕」と共に"Fight Club"を作り上げるもう一人の主人公はブラッド・ピットが演じる。映画をまるで見ない僕でも知っているあのブラッド・ピットである。「僕」とは対照的な、堕落を生きる迫力ある男の演技は見応えがたっぷりだった。

 

 

平成たぬき合戦ぽんぽこ

https://tsutaya.tsite.jp/item/movie/PTA00007YNZ9

言わずとしれたスタジオジブリ高畑勲監督作品である。僕の周囲には高畑勲を信仰する宗教が流行っており、その布教活動の一環として僕の部屋で上映会が行われた。結果として僕も信者になり、こうしてブログに書いている。ニュータウン建設のために切り崩されようとしている山の中に暮らすたぬき達が、得意の変化術で人間達に戦いを挑む物語である。設定こそ陳腐で、あらすじを聞いただけではなかなか唆られないが、驚くべきはその描写力とプロットの緻密さである。個性豊かなたぬき達がどうしても一枚岩になれず、それぞれの思惑で動き回る様は単に群像劇として見ても面白い。スタジオジブリの映像美、疾走感のある演出や視聴者に訴えかけてくるような感情のこもったセリフの数々も素晴らしい。可愛らしくて愉快な絵柄でありながら、全編を通じてドキュメンタリー調の描写が続くことでひしひしとした現実感を与えてきて、最後まで飽きることなく見続けられる。とにかく完成度の高い作品である。これを見て君も高畑勲信者になろう!

 

 

少女革命ウテナ

https://www.video.unext.jp/title/SID0002637

 

 

「それは、むかしむかしのお話です。あるところに、お父様とお母様を亡くし、深い悲しみにくれる、幼いお姫様がいました。」

 

「そんなお姫様の前に、白馬に乗った旅の王子様が現れます。凛々しい姿、優しい微笑み。王子様は、お姫様を薔薇の香りで包み混むと、そっと涙を拭ってくれたのでした。」

 

「『たった一人で、深い悲しみに耐える小さな君。その強さ、気高さを、どうか大人になっても失わないで。今日の思い出にこれを。』」

 

「『私たち、また会えるわよね。』『その指輪が、君を僕のところへ導くだろう。』王子様がくれた指輪は、やはり、エンゲージリングだったのでしょうか。」

 

「それは良いとして、お姫様は王子様に憧れるあまり、自分も王子様になる決意をしてしまったのです。でも良いの?本当にそれで。」

 

 

友人に誘われて夏から上映会を始め、昨日ついに見終わったが、人生で見たアニメの中で最も印象的で、最も好きな物の一つになった。全編39話と長く、昔のアニメだけあって絵柄や演出(特にギャグ演出)には少し戸惑う部分もあったが、試聴済みの友人二人+未視聴の友人一人に付き添ってもらい、週末の夜に一日Blu-rayを一枚ずつ見ていって完走した。とにかく長いし、曖昧な部分も多く、説明が少なくて混乱するところが何度もあるだろうが、興味を覚えた人は是非見て欲しいと思う。内容に触れようとしてもうまく説明ができないが、王子様と姫と恋と愛とシステムと革命の物語である。絶対運命黙示録

OPとEDはめちゃくちゃ格好良い。

www.youtube.com

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「たとえ二人離れ離れになっても、私は世界を変える」「昔の話に縋る大人には言い訳が似合う」...見終わった後に曲を聴くと歌詞で泣けてくる。僕も潔く格好良く生きていきたいと思う。

 

ところで、これが百合アニメとして紹介されているのをどこかで見たが、別に百合アニメではない。というかこの作品を通しで見ておいて百合アニメというつまらないレッテルを貼ることに躊躇しないような人間は感性が死んでいるしこのアニメから涙一粒分の学びも得ていないに決まっているので話を聞くに値しない。まあどんな捉え方をしようと許されるのが創作物の持つ自由さ、魅力なので、さまざまな意見があっていいと思う。僕は許さないが

 

夢の端々

natalie.mu

こちらは上下巻構成の漫画である。二人の女性の関係性についての短話がいくつかまとめられており、現代からだんだん古い時代へ、舞台が実際の時制とは逆向きに遷移していく。時が経ち拗れてしまった二人の間柄がだんだんとほぐれていくような感覚を得るが、描写されていることはその真逆である。時間によって互いを許したり、落ち着いたり、よりを戻したりすることはできても、最初のように純粋に戻ることは決してできないということがただ悲しいと思った。上巻4話5話のえげつなさが好み。

面白い作品だが、一方でこの作者ならもっと面白くできたのではないかと貸してくれた友人が言っていた。僕も同意見であり、須藤佑実先生の次回作にご期待している。

 

A子さんの恋人

www.kadokawa.co.jp

留学帰りの美大出身のA子さんと、関係をうまく断ち切れなかった元彼のA太郎、留学先のニューヨークでA子さんを待つ彼氏のA君、それにA子さんの同級生のU子、I子、K子、その他周辺人物が織りなす群像劇、及びラブコメディである。作者も美大出身で、それだけあって絵が上手く、シンプルな線で描かれながらも表情豊かにキャラクターが動く。コマ割りは単純で語りも淡々としたエッセイ調だが、プロットが中々に作り込まれているので飽きが来ない。サクサクと読み進めていくうちにA子さんと二人の男との関係性の核心に迫っていき、だんだんと彼女らに感情移入できてくる。派手な表現は使わないが描写は巧みで、盛り上がりと落ち着きがしっかりしていて物語にボリュームがある。とても面白かった。全七巻で既に完結していて買い揃えやすいので、暇な週末なんかに手に取ってみると良いと思う。この間恵文社で売ってるのを見かけた。

www.keibunsha-store.com

 

子供はわかってあげない

morning.kodansha.co.jp

 『読むとうっかり元気になる、お気楽ハードボイルド・ボーイミーツガール

↑の素敵なキャッチが公式の作品紹介についており、これ以上の説明はいらないように思える。キュンキュン、爽やか、甘酸っぱい、良い青春漫画だった。どうやら実写映画化するらしい。成功すると良いと思う。

 

聲の形

www.shonenmagazine.com

読み終わった後に感想を語ろうと意気揚々と友人達に話しかけたら、「今は聲の形の話をするにはMPが足りない」「そんな体力ない」「眠い」と跳ね除けられて悲しかった。実際この漫画は感想を語る上で踏まえておかなければいけない文脈の量がかなり多く、なかなか一筋縄ではいかない作品だ。石田将也はろう者の西宮硝子をいじめ、彼女から小学校時代を奪ってしまったことを後悔する。その罪の意識が消えないまま中学高校と成長し、償うために再会するも、どうやっても過去は消えないという事実が彼に重くのしかかる。誰もが罪を背負いながら、それでも人生をやらなくてはならないという現実は本当に怖い。その怖い現実に向き合う主人公と、その周囲の世界の話である。

僕がこの漫画を好きな理由のうちで最も大きいのは、人間は基本的にしょうもないということがありありと書かれていることだ。主人公の石田を筆頭に、登場人物は誰もが良い奴で、誰もが嫌な奴だ。好きな奴には優しくするが嫌いな奴は詰るし罵る。手段や考え方は違うも、みんな隙あらば自己正当化に走り、自分は加害者ではないと言い張り、被害者ぶって善人ぶって、助けるふりをしたり開き直ったりする。他人を許したり許さなかったりする。怒ったり、怒ることで自分は正しいと思い込もうとしたりする。怒らないことで許してもらおうとする。人間の描写はかくあるべきだ。多面的で立体的な人間関係を描く素敵な漫画だった。

ところでこの作品は「君の名は。」と同時期に映画が公開されていたことが有名だが、その頃中二の僕は逆張りのつもりで「傷物語 Ⅱ冷血編」を日本橋の映画館に一人で観に行っていた。なので未視聴である。そのうち観たい。

 

青野くんに触りたいから死にたい

afternoon.kodansha.co.jp

よくあるWEBマンガみたいなタイトルとよくあるWEBマンガみたいな絵柄だと思っていて舐めていたらなかなかとんでもなかった。ジャンルはラブ/エロ/コメディと見せかけたガチのホラーである。幽霊との恋は素敵だが、あくまで化物であることを忘れてはいけない。この絵柄だからこそ出せる怖さと、純粋に漫画力の高さを感じさせる演出がかなり良かった。幽霊・青野くんの裏に潜む怖い怪物と向き合っていくうちに、だんだんと主人公の優里ちゃんの内面に迫っていくのだが、これがまた異常で怖いのだ。既刊は7巻。続巻が来春に出るらしくとても楽しみだ。

作者の椎名うみさんのTwitterは結構面白い。

 

キッチン

www.shinchosha.co.jp

友達から薦められていて、本屋で見かけたので買って読んだ。1988年刊行だがFight Club同様に古さを感じなかった。ありきたりな表現になるが、やはり良いものは時代を問わないのかもしれない。単純に三十年やそこらでは人の価値観は変わらないというだけかもしれないが。ともかく良い小説である。表題作の「キッチン」とその続編、加えて作者のデビュー作である「ムーンライト・シャドウ」がおさめられている。どの作品も喪失と、それからどう立ち上がるかということがテーマになっていて、寄り添うものとしてキッチンや月明かりがある。

とても良い小説で気に入ったのだが、読み終わった後はしばらく悲しかった。というのも、全編を通して男女関係、恋愛を通じて世界の美しさを見ようとする雰囲気があり、また作者自身もそういう雰囲気の人であるらしく、恋愛も男女関係もやってこず、またそれらを信じていない身ではここに表現されている美しさを真の意味では解せないのではという気持ちになってしまったからだ。今思うとめちゃくちゃな悲しみ方をしていた気がするが、読後の僕は本気で結構気落ちしていたので、覚えていないだけで何かもっと考えていたことがあったのかもしれない。

 

容疑者Xの献身

www.bunshun.co.jp

東野圭吾を軽んじて生きてきたが、読んでみると結構面白かった。白夜行も読んでみたい。

 

終わりなき夜に生れつく

books.bunshun.jp

同じく恩田陸も軽んじて生きてきたが、読んでみると結構面白かった。どうやらシリーズ物だったらしいので、他の作品も読んでみたい。

 

 所見

だいたい紹介したいのはこれくらいである。後は「ネムルバカ」「ダンジョン飯」「ゴールデンゴールド」とかが面白かった。僕は電子版で定期購読している少年ジャンプ以外に自発的に漫画を読む/アニメを見る/映画を見ることがあまりないので、漫画好き/アニメ好き/映画好きの友人がいることはとてもありがたい。おかげで沢山の良い作品に出会うことができ、人生が1680万色くらいに彩られている感じがしている。ところで曲についてだが、最近あまり新しい曲を聴いておらず良くない。オススメの曲があったらぜひ教えて欲しい。

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かろうじて最近聴いていいな~~~~となった曲

 

最近ようやくスマブラの上達の仕方がちょっとわかってきて楽しくなってきたが、勉強/DTMは全然である。できれば来年はそっちにも力を入れたいな〜〜と思っているが、時間/モチベーション管理が下手糞、及び気合が足りずこのままでは多分ダメになってしまいそう。せめてスマブラだけは萎えずに続けたいと思う。頑張るぞ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。

終わりです。読んでくれてありがとうございました。