U星群

大学三回生です 京都に住んでいます

カズヤスティーブBANについて考えたこと

ウメブラ二日目の深夜にツイッターを眺めていたら、こんなツイートを見つけました。

うお〜(意味のないうめき声)、と思いました。J-Snakeさんは沖縄のスマブラコミュニティを背負って精力的に活動されている方で、方々でご活躍を聞きますし、この企画を通して開催する行動力はすごいと思います。僕も去年の夏休みにやってたゆゆスマという超々小規模大会でDLC禁止企画したいなーと言うだけ言って結局やらなかったので、やっぱり大人としてe-sportsに向き合っている方は流石だなと感じましたし、これ自体に意見とか批判とかは全然ないです。

ただなんとなく、このツイートへの反応とかを見ていて、ちょっと考えたことをツイートしようとしたんだけど長いのでブログに載せちゃおって思って記事を書いてます。一部キャラをBANすることによるメリットデメリット、論点がどこにあるのかについてです。今は朝の5時で、書いてる暇なんてないんだけどなんか目が覚めちゃった。

本題なんですけど、そもそもなんでDLC2BAN(というかぶっちゃかカズヤスティーブBAN)の必要があると思う人がいるのか、その発想がいかに正当化されるのかについて。
どんなコミュニティにも特有のカラーがあって、そこに適合する人が集まってきます。スマブラは競技シーンも観戦勢も全部合わせると複雑すぎるので、ひとまず競技シーンを、さらに各々切り取って考えると、例えば100人200人規模の大会では競技として高い順位を取ることに重きを置く人々が、逆に5人にも満たない身内の宅オフだと雑に楽しくスマブラをしたい人が、それぞれ来やすい雰囲気があると思います。(もちろんガチな雰囲気の宅オフもほんわかした大会もありますんで、例えば九龍は他の大会より元気な人が集まりやすそうとか、ぶるーえむ宅は謎スピリッツルールも楽しめる人が来やすそうとかそのくらいの感覚でいいです)そして、コミュニティのカラーは最初は流れで変化していきますけど、ルールを作ることで主催者の意図する方向に変えていけますよね。応援ありの大会か静かにやるかは主催者が決められて、それによって来る人の感じが全然違ったり。
そして、主催者がやるカラー選びには『カズヤスティーブでスマブラを楽しんでる人』と『カズヤスティーブが原因でスマブラを楽しめない人』のどちらを切り捨てるか、の拓も入り込んでいる、という発想があったとしてもおかしくはないわけです。多くの大会やプレイヤー、発言力のある方たちは、そもそもこの拓の存在を言語化することを忌避していて、多分なあなあのまま拓自体を拒否して続く部分が多いと思うんですが、この拓に向きあう人がいるのも自然なんです。

そして、実際に『カズヤスティーブがいないスマブラ』を選んで大会を開く人がいたとしても、それ自体は全然悪いことではありません。やりたいゲームがあって、同じように思ってる人たちが集まって遊ぶことはめちゃくちゃ自然ですよね。

では何故、BAN大会が日本でドカドカ開かれないのかというと、まず一つはコミュニティの分断を招くからですよね。カズヤスティーブがいないスマブラの大会が乱立して、今までの大会の規模が縮小した場合、カズヤスティーブを使ってた人や、その人を応援してた人たちの行き場所はどんどん狭くなっていきます。カズヤスティーブ使いじゃない人でも、片方の大会しか出場しない人が増えたりするでしょう。そういう分断は大規模に起こると単純に怖いです。数十人規模の大会が立ち上がるくらいならまだしも、いきなり同接何千人とかの大規模大会でそれをやられたらいろんな人が影響を受けます。それのせいでスマブラをやる人が減るのか増えるのか、誰かがどういう風にダメージを負うのか、予想がつかないです。

ただ、キャラクターのBANとか禁止行為の制定とか(Xメタナイトの床下往復禁止とか、海外の一部大会でのForベヨネッタのBANとか)は今までの作品でも行われてきたことで、今まで受け入れられてきたし別にSPでも......と、なると思うんですが、ここでもう一つ重要な要因があって、そのせいで簡単にBANにはいけないなって感じがします。

もう一つというのは大会の価値の喪失です。喪失って言葉かっこいいなあ
この話のためにはまずスマブラ製作陣が押し出してきたコンセプトを振り返る必要があると思います。「愉快なパーティーゲーム」という桜井氏の言葉は、あらゆるスマ勢にこのゲームの本質として引用されまくっており、スマブラSPの持つ派手さ・理不尽さを象徴するものとされていますが、実際にこの言葉が表しているのはひとえに製作陣の態度の曖昧さです。
キャラ調整の際の文言が一番わかりやすいと思うんですが、スマブラではキャラの強化・弱体化は淡々と結果だけが記されてその意図は解説されないのが普通でした。とはいえ、「ああパルテナが強かったから空前弱くなったんだろうな」くらいのレベルの推測は可能です。が、パルテナが『大型大会で』強かったから弱体化されたのか、『VIPマッチで』強かったから弱体化されたのか、『スマメイトで』強かったから弱体化されたのか、そもそも1on1アイテム無しで強かったから弱体化されたのか、などの細かい基準には触れられません。(一応公式はVIPマッチを参考にしていると明言はしていますが、そもそもVIPマッチ内でも優先ルール制によって試合形式が様々すぎるので一律の基準があるとは思えません)他ゲーの話をしますと、例えば僕が最近ハマっているギルティギアストライブなんかは、このキャラの〇〇はこういう展開が取れて強かったので▽▽な感じにしたよ〜、と解説してくれます。それどころか、そもそもキャラの設計に意図が明確に出されており、例えば初心者が参入しやすいように主人公キャラのソル・バッドガイは使いやすく強くしました、と公式が明言した上で実際にソルはずっとTOPtierにいます(最近は落ちましたが)。明言されている以上プレイヤーはみんな、まあソル強いよねオッケーと認めた上でプレイすることを求められます。

スマブラギルティギアの違い

競技者としてはギルティ親切だな〜と思いますが、とはいえスマブラもこうしなければいけない事情があって、そもそも”平等さ”を求めているガチ勢だけが対象じゃないということや、あんまり複雑だと解読できる層が限られたり、他社キャラもいるので誰かをひいきしたりすると雰囲気が悪かったり、キャラが多すぎて詳細な調整が難しかったりとか、色々想像できますし、多分想像できない理由もたくさんあります。なので一概にどっちが良いとかは言えません。(いつもの)

そういうわけで、スマブラをやっている人はみんなこの公式の曖昧さ、答えを言わない感じを前提にした上でプレイしてきたわけです。それにより、ギルティ勢の「まあソルが強いのは仕方ないよね」とは全く真逆で、スマブラコミュニティでは「キャラの強さ弱さには理由はない」という一種の”自然さ”みたいなものがあると信じられてきたわけです。キャラの強さはスポーツ選手の才能のあるなしみたいなもので、他ゲーのソルみたいにドーピングされてる奴はいないし、いるとしてもシステムに優遇されてるかどうかくらいだから自然だよね、みたいな気分。スティーブやカズヤも一応はその範疇なはずでした。

そこで、「スティーブとカズヤは禁止にします」と言うと、みんなが前提にしてきた環境の自然さに亀裂が入るわけです。大会は、一つの意志によって明確な介入を受けた場所になります。

まず「じゃあ今までの大会はなんだったのか」という話になりますよね。今まで東西最強やら世界規模の大会やらで活躍してきたカズヤ使いスティーブ使いの勝利や名声は、全てキャラにキャリーされたことになってしまいます。それを応援してきた人の気持ちはどこに行けばいいのかわからないものになりますし、その試合や結果を讃えてきた人たちの言葉も無意味になります。今までスマ界隈では、特に大きな舞台に立つような発言者ほどスティーブ使いもカズヤ使いも讃えるというスタンスを取り続けてきて、その人たちに追随する人たちも同じような言葉を使って盛り上がってきました。これらが全部一気に手のひらを返すとなると大事です。

そして次に、「これからの大会はなんなのか」という話になります。カズヤスティーブが居なくなって、ジョーカーやシークが活躍するスマブラが戻ってきました。優勝はジョーカー使いです、となった時、「でもジョーカーが勝ちやすい環境に自分らがしたんだから勝って当たり前じゃね?」という意見は生まれるでしょうし、否定するのは難しいと思います。カズヤスティーブは平等に全てのキャラを抑えつけているからこいつらを消せば全員が解放されるんだ!というほど単純ではなく、カズヤスティーブによって活躍の機会を与えられたキャラもいるはずで、そういうキャラも巻き添えで追い出してキャラランクを自分達の信じるピラミッドに戻すぞ、としてしまうと、いまいちキャラの活躍を自然なものとして受け止められなくなるのではないでしょうか。

要は二つとも、ルールにわざとらしさがあると萎えるんじゃね?という意見です。ちょっと出来レース感が生まれてはしまいかと。

 

話が分かりづらくなってきたんでまとめるんですが、BANによって起きる良くないことは「悲しい人と嬉しい人でコミュニティが二分される」と「試合の神聖さが損なわれて価値が怪しくなる」です。またこれらは大規模な大会でBANが行われた時に限ります。小さいならそんな影響ないし大丈夫だと思う。

こういった良くないことの影響範囲は、多分過去作とは比にならないくらいデカいんじゃないかなと思います。もうスマブラSPのコミュニティは、「このゲームを競技として遊ぶのが楽しい!」という人たちだけのものではないからです。「見るのが楽しい」「応援するのが楽しい」人による、声援・スパチャ・広告収入・新規参入によって、スマ界隈の中でお金がくるくる回って、そのおかげで大規模で派手で影響力のある大会があちこちで開かれ、遊び場の数が保障されている現状があります。*1そういう大きな規模の中でみんなで大事にしてきた大会の場所、大会の価値が一気にひっくり返されてしまったら、多分いろんな人が傷つくし、いろんなことがうまくいかなくなると思います。

なので、カズヤスティーブBANを現実的・健康的に実施するためには、一気にひっくり返すのではなくゆっくり丁寧に浸透させていく必要があるのではないでしょうか。

なぜ主催側がこのキャラたちをBANする必要があると考えるに至ったのか説明し、これからの大会をどういうものにしていきたいかはっきりと明言した上で人を集める必要があります。その際、カズヤスティーブを使って大会に参加してくれていたトッププレイヤーとの対話が必要ですし、その人たちに納得してもらった上で、ファンに対して呼びかける言葉も用意する必要があります。この記事ではずっとBANという用語を使っていますが、その表現方法も工夫しなければいけないでしょう。デュエマやってた人はわかると思いますが、デュエマではカードが強すぎてルールから除外される時、「禁止」じゃなくて「殿堂入り」と呼ぶんですよね。強すぎるので名誉ある殿堂に入りましたと、それだけでかなり感じがいいです。こういう工夫が色んな表現に求められてくるんじゃないかなと思います。BANができるだけ良いように受け入れられるための工夫です。
言葉というものの力はやっぱり凄くて、だから実況やMCが必要なわけですが、「熱い試合です!」と叫べばそんな感じがしてくるし黙って冷めてたら見てる側も萎えてきます。有名な配信者が最高!と言えばそれにノってみんなピースしてくれるもんです。立ち回りキャラがカッコいいって言い合ってたらそんな気がしてきていきなり出てきた珍妙高火力勢い撃墜キャラにびっくりしちゃうんです。それが良いか悪いかとかではなく、そういう流れがあるので利用するべきだよねって思います。僕には影響力ないから偉い人たちがみんなで力を合わせて頑張ってくれ〜〜〜っていうめっちゃ他人任せな気持ちです。プレイヤー側・観戦者側もその意図を汲み取ってうまく受け止める度量が要ると思います。カズヤスティーブBANは色んな人にでっかいダメージを負わせる選択だからやるなら言葉をめちゃくちゃ選んでできるだけダメージが減るようにしよう!って気持ちです。

ただこういう手段があったとして、実際にBANは実行されないしこのまま大会は続くよってなるとは思うんですけど、それは別に何も失うものがない自然な道ってわけじゃないし、上で言ったようなどっちを切り捨てるかの二択は常にあるので、それに向かい合ってるっていう自覚はみんなあった方がいいんじゃないかなと思います。

 

以上で言いたいことは大体終わりです。考えてたことをダラダラ書いてただけなのでうまくまとめられなかったんですが、とりあえずカズヤスティーブBANした時の影響と、それを考えた上で実践的にはどう行われていくべきかについて書いたつもりです。なにぶん僕自身はSP新規勢で、主催者側(と言って良いレベルかわからないですが)になったのもここ最近なので、見逃してる歴史や文脈はたくさんあると思います。なのでそういう指摘あったらどしどしください!そして再三なんですが、この記事は大型大会でBANをやってそれをスタンダードにしようとするとこういう風になりそうだよね〜という想像の記事に過ぎないし、小中規模の大会が自由にルールを制定する上では大きなしがらみは考えなくて良いんじゃねと思ってます。そういう大会が良い例悪い例になってコミュニティ全体の深みが増していくんじゃないでしょうか。

長くなりましたがここまで読んでくれた人、いたらありがとうございました。おやすみ!あとKAGUYAよかったら来て!

https://twitter.com/KAGUYA_SSBU

 

 

 

 

*1:個人的には別にプレイするやつだけでいいし界隈が縮小して消えたらそれもそれじゃねと思うんですが、そんなラディカルな意見が一方的に通るわけはないし、通るのも良くないなと思います