U星群

大学三回生です 京都に住んでいます

ガリ勉メガネの3年間

期末テストまで一ヶ月を切った。ここで単位を揃えないと2回目の留年が確定するので流石にぼぉっと構えているわけにもいかず、普段は出場する平日大会を全て見送り、宅オフも対戦会も泣く泣く遠巻きにして机の前でペンを握る。そうしてから一週間が経ち、いまだに握ったペンが動く様子はない。実際にはyoutube→overwatch2→VIPマッチ→youtubeを挟み→GGST→youtubeのループを延々と続けていただけ。勉強しなきゃいけないのに......と思いながらゲームしてても身が入らないので上達が遅い。俺のアッシュ一生2000ダメージとかしか出ないしバディストにタイマンで負け続けるしフードゥルは2Pで落とせないしようわからん型のオリーヴァの動画ばっか流れてくるしなんか俺のゲッチキンクルに負け続けてるんだけどほんとに使ってるキャラゲッチで合ってる?毎日一話ずつ無料で読める漫画アプリの更新だけがなんとか日々の連なりを感じさせてくれてたけど、楽しみにしてたドンケツそれ町も読み終わっちゃったんで寂しいし一日の楽しみが無い。はぁ。

それにしても何でこんなに勉強ができないんろう。昔はもっと勉強をしていたのに......得意・不得意以前に、勉強をしようと思って→する 回路が正常に動いてたはずなのに。何故このような事態になってしまったのか。なぜ三ヶ月間学校に行けていないのか。なぜ学期初めに買った教科書は全て漫画の下に埋もれているのか。なぜ部屋に消しゴムがないのか。なぜ使うキャラが毎回弱いのか。なぜ自分が好きなバンドの推し曲は毎回ベストアルバムから外れるのか。なぜ既に何回も見た上にサブスクで簡単に見返せるアニメのBDBOXを買ってしまうのか。なぜ内容はほとんど総集編の劇場版を公開日に見に行った上でやはりBDを買ってしまうのか。なぜバイトに落ち続けるのか。なぜ髪を染めて以降毛は抜け続けるばかりのはずなのに髪の金色部分とは半年経っても全く減ってないように見えるのか。我々はそれらの謎を解明するために、かつてあったとされる黄金時代、Uのガリ勉高校生編のことを思い出す試みに挑戦したのだった。

本当は勉強したくないから現実逃避で文章書き始めただけ。

ではどうぞよろしくお願いします。以下ずっと自分語り。結果として、自分は京大に現役で合格するわけだけど、ただ全然サクセスストーリーというわけではなく、なんかこうスマブラの前にやってた別ゲーとその界隈についての解説みたいな感じで読んでほしい。ああこんなやつもいるんだなくらいの感想でお願いします。

高校受験編 : クソガキ

保育園から小・中学校の間、Uは神童だった。
超嘘。別に天才みたいな雰囲気は全然出せないただの根暗ないじめられっ子だった。けど勉強はちょっとできて、中学の定期テストでは一学年250人の中で常に20-30位くらい。授業を真面目に聞くことが苦手で、自前で持ってきた本をこっそり読んでは没収されてた。特に国語の授業とかマジでつまんなかったからずっと『とある魔術の禁書目録』を読んでました。あまりお小遣いが多くなかったので、BOOKOFFで毎月三冊づつ分厚めのラノベを買って十周くらいして時間を潰してたのだった。そんな健気なガキの楽しみを無慈悲に没収する国語教師、あまりにも非人道的と言わざるを得ない。国語に関係してたら許されるかなと思って、図書館で借りてきた『あさきゆめみし』を読んでた時期もあったんだけど普通に没収された。そんな感じだったので定期テストの点数はそんなに良くないし授業態度で減点されて成績表は全部4とかだったんだけど、一回のテストだけで済む受験勉強とは相性が良くて、結果的に学年で三番目くらいに偏差値が高い私立高校に進学することになった。先生はみんな嫌そうな顔をしていた。そりゃそうね。
小中とずっと図書館に古森霧だったおかげで国語の点数だけ異常に高かった。初めて受けた中3夏前の駿台難関模試みたいなやつで国語の偏差値が80とか行って冊子に名前が載り、これが人生最高得点だった。数学と英語の偏差値は40と35とかで普通にカスだったんだけど国語のせいで引き上げられて志望校にB判定が出ちゃって、めちゃくちゃ調子乗って夏休みは勉強しないでマインクラフトのゆっくり実況ばっか見てた。ところで当時よく見てたのが28ちゃんねるっていうほんわかしたゆっくり音声で、ある時期から生声はじめたり彼女さんが出演し始めたりしてたんだけど、最近Twitterでその28さんと彼女さんがもう結婚してて第二児が産まれるとかの話が流れてきてクソほどびっくりした。時の流れ、えぐ。そして夏勉強しなかったせいで夏明けの模試がやばくて、でも色々あってなんとかかんとか上振れてギリギリで志望校に合格、家族が増えたのもあって家にスペースがなく、寮に入って東京の高校に通う日々が始まった。おれのガリ勉人生でうまく行ったのはここまで。

高校1年生編①:初めての「勉強できない子」扱いに彼は

上振れて結構いい場所に入った人は当然その中では落ちこぼれ。世の中の基本原則だけど、高一の僕はまさしくそうで、人生で初めて『勉強できない子』として生活することになった。うちの高校はちょっと特殊で、英語数学国語は全部レベルごとに四段階授業が分かれたんだけど、入学時のレベル分けテストで英語は一番下、数学は下から二番目、国語すら上から二番目のクラスに配属された。いわゆるグローバル教育みたいな学校で英語のレベルは馬鹿ほど高かったのでちょっと仕方ないんだけど、数学と国語が一番上じゃないのはかなり自尊心を傷つけた。どうしても勉強できない子扱いに耐えられなかったので、ここでガリ勉生活がスタート。定期テストの点数さえよければ次の学期から上に上がれるので、年3回のチャンスをなんとか掴むために邁進、せっかく高校に入ったのに部活も写真部とかいう帰宅部ダッシュファイターみたいなとこに入部してしまう。はぁ。全ての間違いはまずここで、別に勉強なんかより楽しいことがいっぱいあることに気がついていればこの後の生活はもっと豊かになってたはずなんだけど、気づいたら視界はチャート式数学の青い表紙でいっぱいになってしまったのであった。
高校生活一年目を犠牲にした甲斐あって、2年生に上がる頃には数学・国語ともに無事一番上のクラスに移動。めでたしめでたし......でもなかった。まだ何もかも知らなかった高校一年生のクソガキは、ガリ勉生活を加速させるもう一つ最悪の間違いを犯してしまう。

高校1年生編②:ツイッターのはじまり、学歴厨の目覚め

最初に光があった。そして昼と夜が分かれ、空と大地が分かれ、海ができ、最後にインターネットが生まれた。インターネットはあらゆる過ちを生み、神はインターネットなんて無い方が良かったと言った。---裏死海文書第0章0節

 

高校1年生のUの最悪の間違い。それはツイッターを初めてしまったこと。

それが何?と皆さんは思うかもしれない。ゲームをやっていればツイッターはほぼ必須ツール。スマブラではオフに行くにもオンでフリー対戦をするにもツイッターを使う。ゲーマーなんてラインよりツイッターの方を多く見るのが当たり前の人ばかりかもしれない。しかしそれは本当は普通ではない。普通ではないのだ。趣味に身を入れすぎているためツイッターにその情報を連投しお互いに見合ってしまう。誰がレート1700行ったとか大会のリザルト行ったとか今日は手が震えてあんまりうまくできなかったとかおめでとうございます!自分も今期は頑張ったんですが1750までしか盛れませんでした〜😆とかクソキャラとかキャラ相性とかプロゲーマーの態度が実は悪いとかネチネチネチネチネチネチネチネチ、これは普通ではない。

しかしそんな普通ではないことが起こっているのは、実はスマブラ界隈・ゲーマー界隈だけではない。なんとツイッターには勉強界隈というものが存在する。
勉強界隈。基本はスマブラ界隈と同じである。今日は何時間勉強できたとか模試の判定がAだったとかテストで学年何位だったとか志望校は実はここでとかそういう話をお互いにしまくってはなんとなくアイツより雑魚だと思われないようにツイート内容を工夫しようみたいなアホの駆け引きが繰り広げられている。高校1年生のUは写真部と周縁の根暗ガリ勉オタク2号や3号に誘われてその勉強界隈に足を踏み入れてしまったのである。本当に、こんなことしなければよかったのに......。後悔先に立たず。

さて、勉強界隈にも階層がある。底辺があれば最上位勢もいる。天が人の上に人を作って以降普遍の摂理である。そこを初めて見通した時にUが気づいたのは、自分はカスであるということだった。

本当は全然カスではない。勉強ができるとかできないとかは人の幸福にとって本当にどうでもいいことだし、無理に気にしなければいけないわけではないのだけど、そういう当たり前のことを飛び越えて価値観を押し付けてくる迫力がそこにはあったのだ。高校一年生のガキはそれに抵抗もできようもない。当時の自分にとっては通っている高校のクラス分けで上か下かが全てだった。しかしツイッターを見てみると、どうやら日本には開成やら筑駒やら灘やら日比谷やらエリート高校が乱立し、そこに通う学生らは東大東工大医科歯科大といった超最高峰の国立に受かるのが当たり前、高校入学前に既に高校三年間の勉強が終わっており、部活やらボランティアやらの片手間に模試A判定、寝ている間に指が勝手に過去問を解くなど、勉強という一大ジャンルを攻略する形に体が成っているキル・マシーンだらけだという。一方僕の高校は偏差値こそまあまあ高いが、グローバル教育にものを言わせて推薦で私立大学に入学するのが普通という雰囲気があり、一般受験での進学は東大が一年に一人でるかどうかというくらいで、僕はその高校の中でも勉強が「できない側」。ミホークにやられたゾロよりも世界との距離が遠い。身内の中で最強と盛り上がってたやつがオンライン対戦を始めたらVIPも行けずボコされてる感じ。ため息ついちゃった。

この現実を理解したUは、大人しく引き返して自分の人生を豊かにするために友達作りや新たな趣味に励んだ......ならばよかったのに、あろうことか自分も「できる側」に、それも全国区レベルの最上位勢になりたいと思ってしまったのである。あーあ。

さて、高1のUは実力的にカスだったが、Uの周囲にはできる奴が何人かいた。Uをツイッターにハマらせたのはそのできる奴たちの影響も大きい。彼らは同じ高校に通いながら、全国区レベルの学力を(実際はともかく、当時の僕にはそう見えた)独学で持ち、Uより常に数段階深い部分の話をしている。彼らは「できる側」なのでツイッター上でも知り合いが多く、お互いに常に切磋琢磨しているようだった。彼らをお手本として地道に努力するだけできっとよかったのだが、最悪なことに、当時のUはできる奴と知り合いというだけで自分もすごい奴かのように錯覚してしまうというよくある病気にかかってしまった。『俺は広い世界を見てその物差しで努力している。だから学校にいる他の奴とは違う』みたいな感じ。その学校の中で上から十指にも入れないくせによく言えたものだ。ともかくそうしてUは実力に裏付けされない意識だけのプライドの高さと、「できる側」の知り合い達と並び立てないという劣等感から、完全に勉強するしかない精神状態に追い込まれ、他の全てを犠牲にしながら机に向かうようになった............。

とまで書ければよかったのだが、実際は結構サボりながら勉強していて、意識だけは高いのに努力量とモチベーションが追いついてない典型的なダメな人をやっていたのがさらに最悪だった。そのダメさをちゃんと自分で直視できてたらまだマシだっただろうにね。

そんな感じで高校一年目は過ぎていった。当時設定した目標は最低限東大合格というもの。完全にツイッターに影響されてしまった。お前は東大に入って何がしたいの?大学に何のために行くの?そもそもお前のレベルで東大なんて目指せるの?という当たり前のことを全く考えていなかった。馬鹿だね。

 

高校2年生編①:ガリ勉くん本格始動

ガリ勉野郎が気合を入れるべきは高校2年生である。ここでどれだけ勉強したかが受験の明暗を分ける、とUが暮らしている世界では言われていた。当然、エリート高校に通っている奴らはとっくのとうにそのハードルを超えているので、当時のUはとにかくそこに追いつくことに必死だった。高2に上がる前の春休みの間に、独学でなんとか数Bを終わらせる。当時のUが目標にしていたのは高校に入る前に既に高校三年間の勉強を終わらせている、高校生活バグありAny%RTAの最速チャートみたいな奴らだったのでこのくらいではまだまだ足りなかったが、とりあえず学期始まりからしばらくはこの貯金で数学の成績をなんとかできたので心に余裕があった。当時のUは塾通いに抵抗があり、というよりもツイッターや周囲の「できる側」の奴らはみんな今更塾とかに行ってバフをかけなくても生のままで勉強ができる奴ばっかだったので、その裸足で野原に立っているような荒っぽい格好良さに憧れて、参考書とZ会の通信教育(東大コース)で自宅勉強というスタイルにこだわっていた。アホやなあ。

ともかくそんな感じで春休みの前も後も脳死で問題集と格闘する日々を送るが、高校2年生ともなると脳死ではやってられないことがいくつか起こる。
まずは文理選択だ。大学受験、ひいてはその後の就職や人生も二分するようなことを高校が一年終わっただけの時に決めさせる仕組みは今思うと本当にどうかしているのだが、それよりもどうかしていることに、当時のUは深く考えずに理系を即決。理系院卒の父親の影響、理系の方が賢いという意味不明の陰謀論をゴリ押ししてくるインターネットの毒電波、数学ができない奴はダメな奴という夏油傑もびっくりの至上論、などなどによる自己分析をスルーした決定は、当然後までずっと尾を引くことになる。なんせ前述した通り、当時のUは国語の成績だけで高校に受かった男。数学も英語もできない理系なんてくいなが死んでないゾロみたいな物だ。でも選んじゃったものはしょうがない。追加で物理・化学という重荷を背負いながらの旅路が始まった。
そしてもう一つは部活の代替わり。帰宅部の2Pカラーみたいな写真部であるが一応役職というものが存在し、毎年新2年生から選ばれる......が、恐ろしいことに、自分の代の写真部は常駐している部員がもれなく全員性格に難があり一番マシなのがUという事態だった。「一番マシ」のレベルは、「初対面の人間と敬語で喋れる」くらいだったので本当にとんでもない。そしてそれが理由で部長に指名され、ボケっと引き受けてしまう。この軽率な判断により、上の代ではきちんと写真を撮っていた写真部は完全に衰退の道へ、最終的には暗室で大富豪をする謎の集団と化してしまうことになる............。本当にごめん。

さて、そんな風に高2初期の重大イベントもスルーしたUにとって一番の関心は春の難関模試である。この出来でこれからの自分の受験生活の如何が占われるので相当大事なイベントだ。当時のUの気分的には、まあ頑張ったしC判定くらいは出るだろうが、気を緩めずに精進を続けようという感じで結果的には普通にE判定でした。はい。
まあまあでも高2の春だし最初だし、ここをスタート地点としてどれだけ上げられるかが大事だしむしろEからのスタートってことは上がるしかないし負けないぞという気持ちで頑張れるし良かったよね!と鋼の楽観論(フルメタオプティミスト)で踏みとどまった僕は、次の模試ではD判定、あわよくばC......いや、遅くとも高3までには間に合えばいいかな、という感じで気を引き締めて受験勉強を再開した。ちなみにネタバレになるが、これ以降東大を志望校にして受けた模試は全部E判定だった。高3の1月に志望を変えるまで、ずっと。ははは。アイドルをやりながら医学部志望でB判定の子もいるのにお前は......

そんな結果が待ち構えていることはつゆ知らず、高2のUはあらゆる行事を全ツッパして勉強に邁進。常に鞄に赤チャートと青チャート(何故か両方買っていた。FEエンゲージの主人公みたい)を備えた内職マシーンと化していた......というのもやはり盛っていて、普通にシャドバとかFGOとかもしてました。ニュートラルヴァンプに文句を言いながらニュートラルヴァンプをマスター行くまで擦り散らかし、ボックスガチャを何箱開けたかでツイッターでマウントを取り合うカスの営みをしていました。これらは最も教師がゆるい古文の授業の間に行われていたため、古文の成績・理解度は共におしまいとなった。これは後の伏線としてきっちりUの足を引っ張ることとなります。
とまあ、ダラダラしながらも受験勉強を続けていたU。それだけならまだまあちょっと意識高い学歴厨さんかわいいねで済んだはずなんだけど、当時のUにはもう一つ関心ごとがあった。それはかの有名な数学オリンピックを初めとする学術オリンピック、そしてそれを中核として広がる競技科学の世界である。

高校2年生編②:競技科学なんてやるな

「よろしくお願いしまーーーーーーす!!」と叫びながらエンターキーを勢いよく叩くことがメイン種目として広く知られている、数学オリンピック(通称JMO)。しかしその実態は、金を払うことで誰でも参加可能な予選、そこから高成績の者だけが進める本選、さらにそこでメダルを取った者だけが参加できる代表選考合宿、そしてその中でさらに好成績の選りすぐり6名が出場する国際数学オリンピック(通称IMO)からなる、まるでギャクマンガ日和GB一巻のアームレスリング世界大会かのような積み木構造だ。数学以外にも、物理オリ、化学オリ、生物オリ、地オリ、言語学オリなどなど様々だが、だいたい形式はおんなじだ。これらで出題されるのは受験勉強とは少し雰囲気の違う問題で、例えばこんな感じ。『どの桁も素数であるような数を良い数と言う。3桁の良い数であって、2乗すると5桁の良い数になるものを全て求めよ(JMO2019)』*1こういうのを時間以内にたくさん解けた人が勝ちというルール。

さて、勉強界隈では学術オリンピックの予選通過者はただならぬ勉強力の持ち主とされ一目置かれる。本選でメダルを取れれば全国の学歴厨サロンには顔パスで参加でき、ツイッターのプロフィールに「JJMO2013銅,JMO2014銀」のように実績を書くことを許され羨望の眼差しは絶えない。IMOの代表選手に至ってはフリーザスカウターは壊れ悟空は初手からスーパーサイヤ人、コート上でわけもなく膝をついてしまいダンクを許し敵サイドからでもスリーポイントシュートが入る。当時のUはセリエAのスター選手よりそんな競技科学最上位勢たちに憧れた。彼らのマネをして代数・解析パーフェクトマスターを買い、杉浦解析を買い、問題解決どうたらこうたらみたいな洋書を買った。競技科学プレイヤーのコスプレにお熱だった、かなりの黒歴史の時期だ。なんとか頑張って数オリの過去問を解いてみるも、門前払い以下の点数しか出ない日々。それでもだらだらと続け、しばらくの期間を無為に過ごした。

数オリの問題集。代数解析以外にも色々種類がある、通称パフェマス。競技科学プレイヤーはカフェに入ってこれを机に置き写真を撮り、「スタバでパフェ!w」などと痛いツイートをして身内ポイントを稼ぎ合う

 

察しの言い方はお気づきかもしれないが、競技科学というのは金持ちの子どもに生まれて幼少から英才教育の湖を回遊していた奴らが文化資本を見せびらかす学芸会みたいなものだ。要するに全然どうでもいいってこと。実際、勉強界隈に入った人間のトレンドは
①学校の授業内容に逆張りし独学、受験勉強の本質を知った気になる
②受験勉強に必死になることに逆張りし競技科学に移行、”上”のフィールドに立った気になる
③競技科学なんて意味がないと言い、自分のための勉強こそが至高とする。悟りを開いた気分になる
の三段階に流れていく。どのくらい早くからそこにいたかによって移行段階にも差は出るが、そもそも競技科学という存在が高校課程修了までしかない時点で過ぎ去っていくものなのだ。勉強するなら自分の人生をちょっと楽しく幸せにするためにやるべきで、順位をつけるのはそのついでにできる奴だけがやるべきことだ。と、思います。ワイトもそう思います。

でも熱が入っている時はそういう風には思えないわけで、当時のUは頑張っていたのか頑張っているフリをしていたのか、自分は受験勉強は当然、競技科学もこなして全国デビューをしてやるぜという気分でいた。気分だけはあった。あらゆる学年集会、文化祭体育祭などなどをガン無視して自習室に篭る日々。参加しないで自習していた進路集会で「学校生活をちゃんとやらない奴が受験で成功するわけがない」と進路指導に遠隔で悪口を言われており閉口。
そんな感じで2年生は終わってゆく。最後に待っていたのは数学オリンピック2019の予選。合計12問くらいのうち6問正答で本選通過の試験で取れた問題はたったの1つ。一緒に出た友達が3問取っていたのでお前俺の3倍数学できるじゃーん(笑)とネタにすることしかできず、あっさりと競技科学人生の幻影も消えたのだった。

ちなみに学校の成績の方は上がってはいたんだけど、当時同じ学年にトップクラスに勉強できる6人くらいの仲良しグループがあって、自分はどうしてもその人たちに勝てず、なんとなくあっち側とこっち側にある溝みたいな物を感じ、また劣等感でゲロゲロしていました。数学のテストで上位6名は名前が掲載される仕組みだったんだけど、常にその勉強できる組で独占されていてテスト返ってくるたびにげんなりしてた。高校三年間通して僕がそこにリザルト入りできたのは床ペロを2回とかだけだった気がする。

 

高校3年生編:今更気づいてももう遅い

高3の春。本来の予定なら受験で使う勉強の範囲は一通り終わっているはずだったが全然そんな風にはなっておらず、英語に至っては半年前に買った鉄壁がまだ一章から動いていないという体たらく。ドヤ顔で先取りしたはずの物理も問題集に手をつけてみるといまいち理解が及んでない感じがする。終いにゃ終いにゃE判定。春の駿台E判定

学歴厨の必携の一冊。買った学生の約八割はすぐに飽きて辞めるが、なぜか皆vivalという単語だけは覚えている。受験生はお互いの鉄壁の傷み具合で学力を推測するので、雑に扱えば扱うほど精神的優位を取れるとされた。

ここでUはようやくやばいと気づく。やばいというのは受験勉強のことではない。おれの高校生活この調子のままあと一年で終わりということがやばい。振り返ってみても勉強勉強勉強、学校のイベントを全ブッチして自習室、友達付き合いよりインターネット、サブカルアニメをリアタイして「お前らとは趣味が違うんだよネ(ニチャア」などと。......この調子のまま終わりってコト⁉︎

今更どうしようどうしようと慌て出したU。今まで勉強だけしかできることがないのでとにかくそれに打ち込むことで目を逸らしてきたが、普通に生活楽しくないし一回きりの高校生がこのまま終わってしまうのかなりやばい。なんとか解決しなきゃ......と思った僕は一つの案を思いつく。

 

今のおれに足りない物は友情・努力・勝利。そうだ、ジャンプを買おう。

当時はチェンソーマンの第1話が掲載された頃。ツイッター上でも無料公開されて話題を呼んでいて、そもそもファイアパンチが結構好きだった僕は「こりゃぁとんでもねえ!追わな!」と思っていた。そしてジャンプを買って読めば明るい性格になり明るい人たちとも対等に話せてこれから学校生活を取り戻すことも可能なのでは?と思った。何を言っているかわかんないけど当時は本当にそう思ったのだ。

そんで上手くいった。マジでジャンプを読み始めたらなんか学校生活の風向きが変わってきた。高校では土日は寮から家に帰るという意味不明システムが採用されていたので、月曜は早朝から片道1時間半くらいかけて高校に行っていたんだけど、途中で中央線のキヨスクでその週のジャンプを買って学校に着くまでに読むのが日課になった。そんで学校に着いたら今週のワンピースについてクラスメイトと話す。そう、ワンピースは全員読んでるのでワンピースの話なら誰とでもできるのだ。明るい性格の人たちともワノ国編の話は対等にできる。これによりまず交流のとっかかりが発生、以後色々なイベントを弾くことなくちゃんと参加するようになった。

正直勉強にもう飽きていたというのも大きい。初夏にあった物理オリンピックには出たかったので出たが、試験・実験レポート共に(物理オリの予選は会場に集まって紙の試験を受けるのと自分でテーマに沿って実験したレポートを提出する二段階で評価される)評価Cという「がんばりました」で終わってしまい、そっちの方向にも本当にケリがついた。高校3年生にして生活の中から受験勉強の割合が半分くらいに減り、人と話すことが増えた。

文化祭や体育祭の準備にも真面目に参加した。推薦入試の準備とかで早々に練習から引き上げる同級生らを尻目に、クラスの男子の中でたしか唯一(?)ダンスの練習に前日の放課後まできっちり全部出て動かない体と熱心に格闘していた。そして熱心すぎたせいで当日に熱を出してしまい体育祭は結局休んだ。アホか。担任の先生に電話で「今回は本当に風邪ひいたんです、信じてください......」と言ったら失笑という感じで「天罰だね(笑)」と言われた。オチをつけんな。

そんな感じで高校3年目はようやく高校生っぽい感じで過ぎていき、塾にも通うようになり、受験を迎え、色々あって大学生になるのでした。この時期に受験そのものの内容について語るとどうしても胡散臭い成功体験みたいな匂いを消しきれないので詳しくは書かないけど、センター前に目標を下方修正して京大理学部に変更、一ヶ月間過去問ガリガリやってギリギリ最低点+6点で滑り込んで終了。まあなんか、そんな物だよね。結局最初に立てた自分の目標は達成できなかった上に、興味を持った競技科学も中途半端の三段階下くらいのレベルで終わっちゃったので、受験後はなんか微妙な後味の悪さが残った。周りに勉強できてすごいねと言われても、素直にありがとう〜と言えない。地元の友達との飲み会で「お前だいらん強いらしいやん!」て言われた時に(いや俺なんてスマバトの予選も抜けれないし平日大会も勝てないレベルだし......)と心の中で思っちゃうあれと同じ。

 

自分で総括すると、高校課程の勉強っていうゲームで大型大会の頂点に行ける最上位勢になりたかったけど実際は地方の中規模大会にリザルトが限界でしたって感じ。勉強はコンテンツとしての規模が大きく、やってる人は本当に生まれた時から積み立ててるし、その積み立てはかなり親と環境依存なので相当運ゲーだったなと思う(とはいえもちろん、自分もかなり恵まれてる方)。なので改めて別のこと頑張ってみようと思ってスマブラを始めたんだけど、こっちも同じようなオチになりそう。こういう自分のだらしなさを上手く飲み込んでいくことだけが人生なのカモ。

この一連の思い出の中で何か教訓があるとすれば、自分の目標は自分のために決めようということで、周りの風景の険しさに圧力を感じて理由なく高いところを目指しちゃうと後が苦しい。勉強もゲームも、自分の楽しさと達成感のためにやりたいね。そういうわけで、じゃあ今お前は何をしたいと考えた時に、明確にもう勉強は懲り懲りなのでテスト勉強もしたくねえな。やめていい?

 

以上、おれの黒歴史その1でした。恥ずかしくなったらこの記事も消す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:解答例:良い数の桁として許されるのは2,3,5,7のみなので、求める良い数は222以上777以下。まずは100の位に注目して考える。500×500=2500000より、100の位の数字が5,7の場合2乗しても5桁にならず不適。また、100の位が3の場合2乗すると10000の位が9になり良い数でなくなるので不適。よって求める数の100の位は必ず2。次に1の位に注目すると、2,3,7の場合、2乗すると1の位に4,9が現れてしまい良い数でなくなるので不適。よって、求める数は100の位が2、1の位が5でなくてはならない。これを満たす良い数は225,235,255,275の4つなので、それぞれ2乗してみると、良い数になるのは235×235=55225のみ。よって答えは235。