U星群

大学三回生です 京都に住んでいます

忘年

生まれてから年忘れということをできた試しがない。おかげで小三の時のアレも小五の時のアレも中一の時のも中二の時のも中三高一高二高三の時のアレコレも覚えたままで、ふとした瞬間にフラッシュバックして僕に枕を殴らせる。除夜の鐘は黒歴史を消してはくれない。布団の中で思い出と格闘する日々がこのまま一生続くと思うと憂鬱になってきた。憂鬱すぎてブログを書くしかなくなったので、僕の愉快な一年を素敵に書き綴ってみることにする。以下、そんな感じである。

 

※この部分を書いたときはまだ2020年内だった。 

一月

いよいよ何も考えずに勉強しているわけにはいかなくなってきた頃だ。センター試験を前にして、僕はいよいよどこの大学を受けるか決めなければいけなくなった。「東大を目指して勉強しておけば、志望校がきちんと定まった時、それがどこだとしても対応できる学力が身につくはず」という詭弁で親と教師を説得して決断を遅らせながら東大志望の顔をしていたのが受験生の頃の僕だった。もちろん純粋に東大に行きたいという気持ちもあったのだが、高二の春から足かけ二年間の受験勉強をやり切るにはモチベーション不足というのが正直なところだった。そんなわけでやる気が尽きて月の前半は駄目だった。本当に僕は東京大学を受けるのか?マジで?でも漢文もリスニングも結局全く勉強してないし、センター試験もやる気しないし、受かる気全然しないんだけど......みたいなことをずっと考えて勉強に身が入らない日々だった。親に「結局どこ行くの?」と聞かれて「京都で暮らしてもいい?」と聞き返した最終志望調査直前の夜までそれが続いた。親が好きにしろと言ってくれたので、京大を受けることになった。志望を変えたはっきりとした理由は覚えていないが、多分四畳半神話体系を読んだからだと思う。高校生の僕が「京都」「京大」という単語に過剰な幻想/期待を投影していたのは確かである。戯言シリーズも大好きだったし。ともあれセンター試験も間近に迫り、志望校もはっきり定まって、ついに受験勉強の総仕上げの時期だという自覚が出てきた。試験二週間前からは全教科の過去問を解き始めた。答え合わせの片手間にシャニマスのリセマラをしたりしていたが、それ以外では結構本気で頑張っていた。休憩と言って流行っていたCODモバイルをインストールして遊んでいたが、本気だったのは間違いなかった。

 

 

受験当日は何度も荷物の確認をしたので受験票も筆入れも忘れなかった。ヘッドフォンで『Ready!!』を聴きながら乗った東京メトロの車両は高校生だらけで、駅に着くごとにさらにどんどん増えた。そのほぼ全員が一限の公民対策と思われる、需要供給曲線が描かれたプリントを見ていた。とにかく現実感がなくて、模試にでも向かっているような気分だったのを覚えている。駅で同級生を待つ間に、道が分からなくて駅員と揉めているお爺さんが居たので助けてあげた。PASMOの使い方がわからないよくいるタイプのお爺さんだった。僕の大学受験とか何の関係もなく世の中は動いているんだなと思った。

 

READY!! (M@STER VERSION)

READY!! (M@STER VERSION)

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徳を積んだおかげか成績は結構良かった。二日目が終わった後、帰る電車の中で自己採点をしてZ会から送られてきた点数調査にデータを放り込んだ。返ってきた調査結果の『第一志望 京都大学理学部 C判定』の表示はめちゃくちゃ嬉しかった。それまで僕は受けた東大模試の全てでE判定だけを取ってきていたので、二次試験の一ヶ月も前に出たCの文字はそれはもう嬉しかった。嬉しかったのでめちゃくちゃに勉強した。成果として、溜めていた四ヶ月分のZ会をセンター後の一週間で処理して塾の窓口で一気に出した。70枚近い解答用紙を、受け取り間違いのないように何度も数えるチューターさんが気の毒だった。そうして1月が終わった。

 

 

ところで、僕が東大を志望していた一番の理由は進振り制度だったのだが、京大に出願するにあたっては理学部を書いた。当時の僕は総合人間学部の存在を知らなかったのだ。当然後悔することになった。馬鹿野郎。

 

二月

月の大部分を「僕は勝てる」という気分で過ごした。通信教材を全部出し切ったことが大きかった。気分が良かったので塾の直前講習のキツめのスケジュールも調子良くこなせた。とはいえやっぱり馬鹿だったので、間違えて文系の教室でテストを受けたりした。塾の先生に疲労でおかしくなっているのではないかと心配されたが一笑に付した。

ちなみに実際におかしくはなっていた。月の前半はセンター後の勢いで誤魔化されていたが、二週間目が終わる頃には精神にガタがきてしばらく動けなくなった。大学に受かれない気しかしなかったし、落ちたら人生が終わるようにしか思えなかった。お気楽に受験勉強をやってきた身には初めての鬱は結構こたえた。ベッドに上半身だけを置いてずっとスマホでなろう小説を読んでいた。ネット小説文化を馬鹿にすることで自我を保ち高校三年間を生きてきたオタクにとっては自傷行為に近い行いだった。

とはいえ結局根がお気楽だったので二日で立ち直った。併願の早稲田の受験日が迫っていたので過去問を三年分解いた。出来は微妙だったが特に根拠もなく余裕モードだった。当日は「他の奴らは受験料を納めに来ているだけだが、僕は受かりに来てるんだよな」みたいな何番煎じかもわからない文章をツイッターに書いて5いいねくらい貰った。受験生がやる中でもかなり痛い方のツイートを臆面もなくできるくらいには余裕があった。実際の試験はかなり焦ってしまい思い通りにいかず、英語を捨てて全振りした理科も数学も奮わなかった。しかも、時間をかけた数学の大問5に大きな出題ミスがあったことが発覚し、全員に点が配られることになってしまった。ミスの内容は注意深くグラフを書けば看破できるようなものだったので気づかなかった自分が悪かったのだが、精神の安定のために早稲田大学の悪口を家で言いまくった。親は微妙な表情をしていた。早稲田卒だったから。

それから京大の二次試験日までは過去問を解いた。時間は少なかったが、どうにか五年分くらい解いた。結構出来が良かったのでやっぱり「僕は勝てる」と思えていた。二次試験前日の2/24に京都入りしてツイッターに「現着!」と書いて京都駅の写真を上げた。夜は無理のないように数学の過去問だけ解いて後はちょうど行われていたFrostbite 2020の試合動画を見ていた。MKLEOがルーザーズランの末当然のように優勝していた。


Frostbite 2020 SSBU Winners Top 96 - MkLeo (Joker) Vs. Armada | Prodigy (Mario) Smash Ultimate


Frostbite 2020 SSBU Losers Semis - SG8 | Tea (Pac-Man) Vs. MkLeo (Joker) Smash Ultimate Singles


Frostbite 2020 SSBU Losers Top 8 - GW | Zackray (ROB) Vs MkLeo (Joker) Smash Ultimate Singles

Frostbite 2020はスマブラSP史上最も荒れたトーナメントなのではないかという話がある。PGR1位がTOP96で敗者側落ちしたり、日本の最上位勢が次々と同じソニックに轢かれて敗者側で同郷殺しをさせられたりしていた。

僕の受験も大荒れだった。自身に溢れ、4完は堅いと思っていた数学で0完をやってしまって最悪だった。挽回が懸かった二日目最後の科目の理科もおしまいだった。慌てすぎて試験終了を30分前倒しで思い込み次々と大問を切った。結果化学は有機以外白紙になった。メインウェポンであったはずの物理の記述が全然書けなかった。無力感に泣きそうになりながらどうにか頭を動かして時間終わりまで解答を続けた。試験室を出てスマホを見ると早稲田の合格発表時間が過ぎていて、見ると不合格だった。しばらく虚無感に包まれて何も考えられない時間が続いた後、泣いた。京都駅に向かうバスの中だった。周りは同じような受験生ばかりだったが、泣いているのは僕だけだった。

父親と合流して駅ビルでラーメンを食べ(味が薄くて全然美味しくなかった)、新幹線に乗って家に帰った。二月の記憶はこれ以降ない。

 

三月

勢いで大量に書き過ぎてしまったのでこれ以降は文量を抑えようと思う。

最初の1週間は後期の北大に向けて勉強をする必要があったが、当然やる気は全くわかなかった。勉強すると言って友人と一緒にスタバやサイゼに行きスマホを弄りながら喋るだけの日が何日か続いたが、3日だか4日だかに北大の入試が新型コロナの影響で中止になることが決定してしまい、完全にやることがなくなった。サイゼでその知らせを見たとき、北大が第一志望だった友人は目の前で青い顔をしていた。一方僕はどうしようもなさすぎて笑っていた。そのあとしばらくテンションが高かったので親に心配された。同情もされた。同情されすぎてSwitchを買ってもらえたので、スプラトゥーン2スマブラをやり始めた。合格発表の時の事はよく覚えていないが、嬉しかったのは確かだと思う。

卒業式と卒業旅行は楽しかった。最後だしちゃんと歌おうと思って校歌をコソ練していたのだが、感染対策とか言って斉唱が中止になってしまって残念だった。卒業旅行では、友人7人くらいで野沢温泉に行ってスキーをした。ただただ楽しかったので書くことがない。

京都に行くとき、東京駅に友人達が見送りに来てくれた。別れ際の「大学ではね、ちゃんと成績とってしっかりと学生をやっていこうと思うよ。」という僕の発言を信じてくれた奴はいなかった。

 

四月

京都大学に入学したが、入学式はなく、授業も始まらなかった。なのでただ寮に住んでいる人をやっていた。新入寮生はまだ京都に来たてですることがあまりない人が多かったので、たまり部屋でお互い一緒に居る時間が多かった。食費節約のために毎日鍋を食べていた。徹夜をして明け方にラーメンを食べにいくとか、暗い部屋でホラー映画を見るとか、ボードゲームをしながら倫理や道徳の話をするとか、そういうことがいちいち新鮮でやたら楽しかった。

寮にスマブラができる奴が何人かいて、彼らと対戦していくうちにすっかりこのゲームにハマってしまったのもこの時期だ。特にこいつには勝てない!という奴が一人いて、彼に勝つことが四月からしばらくの間ぼくの目標だった。

ところで、人生において僕が好きなゲームを好きなだけする時間と、金と、何よりゲーム機を持てたのはこの春が初めてだった。なので好きなゲームを好きなだけすることにした。4月はUNDERTALEとペルソナ5Rをプレイした。どちらもかなり面白かった。ストーリーや演出の妙、やり込み要素やバトルシステムの楽しさもさることながら、BGMが本当に素晴らしかった。ゲーム音楽、いいな〜〜〜と思い始めたのはこの二作がきっかけだったと思う。

Rivers In the Desert

Rivers In the Desert

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Death By Glamour

Death By Glamour

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二作品ともサントラがApple Musicにあって助かった。ロイヤルのサントラは別で欲しいから単体で再販して欲しい。 

 

五月

生活が安定してきて、真新しいことも少なくなってきた。大体やっていたことは四月と同じだ。ラヴェンツァ相手に苦戦して一生Rivers In the Desertを聴いていた。スマブラはだんだん上達してきたがまだ全然勝てなかった。寮の人に色々な麺屋に連れて行ってもらった。鶏谷も藍も美味かった。百万遍にその頃できたびし屋系列のカフェの鶏白湯つけ麺もなかなかだった。

あとはめっちゃカルボナーラを作っていた。三日に一回は作っていた。食べたかったから。

初回はネットのレシピに従った結果めちゃくちゃ味が薄くてしゃばしゃばしたソースを生成してしまった(実際のところ、レシピに従ったのは半分までで、それ以降は見るのが面倒で適当にかき混ぜて火を通した)ので、次はそれを見ていた料理上手に教わった、味をまとめる方法を意識して挑戦した。そうして完成した二回目は塩味が強すぎて食べられたものではなかった。今回も、もらった助言で指定された量の三倍くらい塩を入れた結果(「もっと入れた方が味がはっきりするっしょ!」)なので指示を守らなかった僕が悪かった。致死量に近い塩分を含んだ産業廃棄物を作り上げてしまったことでいい加減レシピを守ることを覚えたので、それ以降はきちんと手順通りに作るようになった。結果として、失敗はしたしお金もかかった(ソース用の生クリームが高いのだ)が、安定してそれなりに美味しいカルボナーラを作れるようになったので、中々いい勉強になったと思う。

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一回目(牛乳を目分量で入れたので多すぎた。白い)

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二回目(色はカルボナーラに近いたが、中身はほぼNaCl)

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三回目(胡椒をかけることを覚えた)

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五回目(かなりいい感じだ!)


六月

カツオを食いにいくぞ!と深夜に言われたので車に乗ったらそのまま高知に連れて行かれた。高知は海も山もあってとても良かった。『少女が見た日本の原風景』みたいな場所だった。

旅行の思い出は切り売りすると色褪せてしまうので、ここでは写真を上げておくに留める。良い一泊二日だった。

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SAから見た朝の明石海峡大橋

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鰹のたたきの実演販売。下で燃えてる藁の束が鰹に麦の香ばしい匂いを染み込ませる。

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高知の名物料理:屋台餃子。小さくて食べやすい。皮の焼き方は固めでスナック感覚

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淡路島SAの展望台から見た景色。ここにはなんでもあるような気がしてくる。

一個目のサークルに入会したのもこの時期である。入った理由は深夜の勢いなのだけど(夜に考え事をしていたら「ここでサークルに入らなかったら一生どこも入らないんじゃないか?」という思考に突然支配されてしまいDMに凸った)、新歓には参加していたし、サークル内の雰囲気も良かったので結果オーライだった。とりあえずDTMをやるためにLogic Pro Xのトライアルを始めたが、起動方法からトラック生成の仕方まで、とにかく操作を覚えるのに時間がかかった。一ヶ月くらいはかかったと思う。音楽理論に至っては、「コードって何?」「ベースって何?」からだったので導入にそうとう時間がかかった。月末にどうにか1分半くらいの尺の曲を作ることができて、とても嬉しかったのを覚えている。

同時期にスマブラも変化があった。寮内だけで戦っていても拉致が開かないと思い、KUSC(京大スマブラ会)のオンライン新歓に参加したのが契機だった。自分や寮内のプレイヤーより遙かに強い使い手と戦って刺激を受けたうえ、「君くらいの実力なら、とりあえず色んな相手と戦って経験を積むべき」というアドバイスと共に、京都下鴨で開催されているオフライン対戦会「すまみやこ」の存在を教えてもらったのだ。その二日後に僕はその「すまみやこ」に初参加し、宅オフという場所、強豪プレイヤーの数々、まだ見ぬテクニックやキャラの数々に衝撃を受けた。同時に目の前に上位プレイヤーになるための道が突然用意されたようにも感じ、急激に高まったスマブラへのモチベーションと共に、以後僕はすまみやこに通い詰めるようになる。行くたびに容赦無くボコボコにされたが、そのおかげで自分の悪い部分が段々と矯正されていった。

lyc.hatenablog.com

月末にはポケモンシールドを買った。僕はポケモンをやるのは初めてだったので(そもそもプレイするゲーム機を持ってなかった)「どうせ流行りもののお子さま向けコンテンツだろ?まあ教養と思ってやるけどさ......」みたいな態度だったが、当然のようにハマって三日間ずっとガラル地方を駆け回っていた。ポケモンリーグでのホップ戦で泣いた。まどろみの森でのラストバトルも泣いた。

ゼノブレイドDEもやった。面白かった。メリアの年齢が88歳であることを知ったとき異常に興奮したのを覚えている。

この頃から授業には出なくなった。

 

七月

六月から地続きで同じようなことをやっていた。他には、酒が飲めないのに飲み会に連れてかれて居酒屋で牛乳をたらふく飲んだり、初めての麻雀で誘ってきた先輩に16000点持ってかれて(「それロン!」)麻雀アンチと化したり、黛冬優子のG.R.A.D.編を読んで限界オタクになったりした。

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なんだこの女!!!!!!!!!!????????
(引用:アイドルマスター シャイニーカラーズ)

 

加えて7/11にはSHOW ROOMで星井美希のライブがあった。もう凄かった。とんでもない衝撃が脳から爪先までを貫いて僕はしばらく自室に縫い止められた。星井美希は生きていた。彼女は確かに僕らと同じ世界にいて同じ地面の上でステップを踏み同じ空気を震わせて歌を響かせ同じ時間軸に暮らしているんだ!!!!!!!!

なんてこった!!!!

みたいな気持ちだった。詳しくは過去ツイートを参照。

 

あとはオリガミキングを買って遊んだり、シールドのランクバトルに参加するために厳選を始めたりした。あとはアイドルマスターシリーズ15周年記念で数日おきに公開されていたアニマスを見返していた。最終日にはムビマスも公開された。初見だったのでむちゃくちゃ楽しみにしていた。部屋の電気を消して布団にくるまりながら見た。

めっちゃ良かった............

天海春香というアイドルの強さを見せつけられてどうしようもなくなった。所々にちらつく星井美希天海春香の間の信頼関係はあの二人でしか作られないものという感触があって最高だった。加えて元々ミリからアイマスに入ったので、お馴染みのミリオンスターズの登場に単純に心が踊った。春香に憧れてアイドルを志した矢吹可奈の存在によって、天海春香TVシリーズを通じて確かになりたかったアイドルになって自分が受け取った声を別の誰かに届けることができたということが明示されたのが本当に嬉しかった。矢吹可奈が河原で呟くのが自分REST@RTなのも最高のリフレインだった。そして最後のM@STERPIECE、もう最高だった。映画館で見たかったナア〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。

すまみやこにはだいたい週一で通っていた。相変わらずボコボコにされる日々だったが、手癖が修正されてきて、試合内容は以前より良くなった。 

八月

あまり激しいことが起こらなかった月だった。アジェンダ283のコミュを読んで再び限界オタクと化したり、注文したM@STER ARTIST 4が届いてNew Me, Continuedを聴いて死んだりした。FE風花雪月を買い、青獅子と黒鷲をプレイした。とても良いゲームだったのでいろんな人に布教したが、プレイ時間の長さがネックになってあまり良い反応をもらえなかった。内装を見て試しに入ってみた焼きそば屋が美味しくなくて落ち込んだり、丸二の素麺定食をもりもり食べて元気になったりした。

月末に自室でメイクが流行り始め、同居人が通販で買った化粧道具をいじって睫毛を伸ばしたり頬を白くしたりして楽しんだ。この頃から自室がたまり部屋になり人が集まり始めた。

すまみやこに行く頻度は週二になった。KUSCに正式入会し、定期活動に参加し始めた。以前より試合が見えるようになったという実感があったらしく、ルフレと別に使うサブキャラを探し始めた。クロム、フォックス、サムス、ピットなどなど色々試したが芳しくなかった。簡単さと強さを兼ね備えたパルテナが正解なことはだいたいわかっていたのだが、パルテナを選ぶのはシャクだったので考えないことにした。

 

前期の成績が開示された。取得単位数は2。

 

九月

八月と同様に楽しい夏休みを過ごしていた。月初に丸二が閉店し周囲が嘆き悲しんでいたが、僕はことの重大さをあまり理解していなかったので普通に暮らしていた。花火をしたり裁判を傍聴したり帰省して高校同期と遊んだりした。出身高校にお邪魔して寮監さんや教師の人たちに現状を話して安心されたり呆れられたりした。月末には天橋立にもいった。魚料理がめちゃくちゃ美味かった。海の水がアホみたいに透明で空が写りまくっていた。

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パノラマ撮影した京丹後の海。綺麗すぎ〜〜〜?

自室がたまり部屋として定着し、一人でいる夜が無かった。自室でたまにアニメや映画の観賞会が行われるようになった。前々から気になっていた少女革命ウテナもみんなで見始めた。

友人に勧められた「A子さんの恋人」が面白かったので、他に勧められた漫画も読むようになった。読むたびに友人に感想を返すようにしていたら、僕の部屋に次々と新しい漫画が友人たちの手によって勝手に置かれるようになったので、読むものに困らなくなった。彼女らが勧めてくる漫画は僕が人生で読んでこなかったジャンルのものが多かったので、新しいものを色々と楽しめて非常に助かった。

月末の作曲者宛てクイズに曲を提出した。出来は拙かったが、3分ちょっとくらいのフル尺の曲を初めて完成させられたのが嬉しかった。それで少し満足してしまったところがあり、しばらくスマブラに意識を多く割くようになった。スマブラは上達したがこれ以降DTMに触れる頻度が極端に減ってしまったので、ここは少し反省している。

すまみやこに行く頻度は週三、四になった。また、ゼルダの伝説BOTWをプレイした(めちゃくちゃ楽しかった!!)影響でリンクを使ってみたところ気に入った。以降、ルフレリンクのダブルメインだと自己紹介するようになった。

 

成績表が返ってきた。GPAは0.02。

 

十月

新学期が始まるので決意を新たにした。スマブラDLCMINECRAFTが参加することが発表されて大笑いした。

部屋のみんなで追いかけていた「A子さんの恋人」が完結したので、完結記念パーティーが行われた。僕は部屋を提供しただけだが、友人は美味しいロールキャベツやマッツァボールを作って用意してくれた。ずいぶん楽しかったので、たまにはパーティーも悪くないなと思った。寒くなってきたので、エアコンのある僕の部屋は重宝された。

相変わらずすまみやこに通いつめ、KUSCの定期活動にも参加していた。割と強くなってきたかな〜〜と思い始めた10月なかばに、KUSC所属のベテランプレイヤーであるチャートやつさんの家に招待され、以降も通わせてもらえるようになった。先輩に実力を認められたような気分になって嬉しかったが、いざ通ってみるとボコボコにされ続け、”わからされ”た。チャートさんはよく助言をくれて、どれも的確な上にその内容が単なるテクニック面から試合への向き合い方のような精神論まで幅広く、とても助かった。経験を積んだ先輩が身近にいることほどありがたいことはない。

 

スマブラモチベが急激に高まり、すまみやこで知り合った人を招待してたまに自分の部屋で対戦会をやるようになった。

 

十一月

 

本格的に寒くなってきたので、チーズフォンデュとか鍋とかが僕の部屋で行われた。布教の甲斐あってチェンソーマンが周囲で流行りだした。部屋の上映会で見た平成たぬき合戦ぽんぽこがめちゃくちゃ良い映画で嬉しかった。寮で起こったことはそれくらいだ。

とにかくスマブラばかりしていたので、部屋にいる時間が短かった。二日に一回くらいの頻度でチャート宅にいた。メンバーはほとんど固定だったので負け続けても気易かったが、たまにチャートさんが呼んだ初対面のめちゃくちゃ強い人にボコボコにされて気分が落ち込む日もあった。スマブラの後は毎回別々のラーメン屋に連れて行ってもらった。一乗寺のラーメンはどれも個性的でおいしい。重厚軍団と聖が特にお気に入りだ。

単調な毎日だったが楽しかった。努力はしてるうちは何も考えなくていいので楽で良い。

月の後半は大吉投票のために曲を聴きまくった。あれだけ告知されておきながら結局投票は締め切りギリギリだった。良い曲しかなかったので本当に困った。

月末に第二回スマバトライト級の開催が発表された。なんとなく忌避感があったので出るつもりはなかったのだけど、先輩二人に「出ないとか無いから」みたいなことを強めに言われて結局参加申請をしてしまった。

 

十二月

スマバトライトの参加申請が通ってしまったので頑張るしかなくなってしまった。開催は12月13日。それに向けて、月初から二週間はほとんどスマブラのことだけを考えていた。

スマバトライト級はその名の通り、本家スマバトでの成績を基準に参加制限を設けた大会で、出れるのはスマバトの予選を通過できないくらいのレベルの人だけだ。僕はまだスマバトに出場したことがないので参加権があった。先輩の見立てだと僕は参加者のうちちょうど中位くらいのレベルとのことで、つまりは実力を試せる良い機会なのだった。

実力を試せる機会ということは、勝てたら自分は強く、負けたら自分は弱いということなのだ。すべて自分の責任になってしまうのだ。それが怖くて堪らなくて、開催前の一週間は大会無くなってくれ〜〜〜と口癖のように言っていた。実際コロナ第三波の影響で無くなりそうな雰囲気が一瞬でたが、予定通り開催されてしまった。

結果はbest24、64人中17位というものだった。今でこそ結構健闘したんじゃないかと思えるが、当日ははちゃめちゃに悔しかった。もっと勝ちたかった、もっと上に行きたかったと強く思った。次のライト級が2月に開催することが会場で発表され、絶対に参加しようと思った。

悔しさと同時に微妙な燃え尽きた感があって、一週間くらいスマブラのモチベーションが無かった。なので寮にずっといて、たまり部屋のコタツに入ってボードゲームをしたり友達が作ったご飯を食べたりして過ごした。すぐにやる気が戻ってきたのでスマブラは再開したが、生活の軸は寮に戻った。ラーメン屋とゲーム機とコタツを巡るだけの日々は生の実感を与えてくれる。生きていること、暮らしていられることに感謝しながら年明けを待った。

 

所感

なかなか良い一年だったように思う。思いつきに逆らわないこと、提案に軽率に乗ることを意識していた結果ずいぶんととっ散らかった大学生活になったが、新鮮なことが多くて楽しかった。勉強はもうちょっとしてもよかった気はするが、その辺は来年以降に補完していこうと思う。

最近の生活の雰囲気的に、2021はもう少し生産性が高い日々を送ることになりそうで、2020のような適当な時間の使い方をすることは難しくなるかもしれない。そう考えると去年が貴重なものに思えてくる。その方が嬉しいのでそう考えておくことにする。

忙しい日々にあっても、合間合間に無駄で楽しいだけの時間を挟んで、人生を風通しよく爽やかに作っていきたいと思う。そこそこに成長を望みつつ、ほどほどに堕落を愛していきたいと思う。そんな感じで、今年もよろしくお願いします。